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2009年5月 8日 (金)

ウルムチでのロシア語学習熱

新疆ウイグル自治区は中国でも特異な地域である。その自治区の都ウルムチは漢族が人口構成の多数を占めているが、その他の都市カシュガル、イリなどではウイグル族などの少数民族が多数を占めている。このため新疆を訪問した外国人はシルクロードの雰囲気を感じる。中国沿海部が発展して富裕層が形成された。金銭的に余裕のある人々が多く誕生している。このような富裕層は、海外旅行のみならず、エキゾティズムを求めて新疆、内蒙古、チベットなどへの観光旅行が増えている。

中国の経済発展は、中央アジアと新疆の交流を拡大させている。カザフスタンは石油や天然ガスの輸出により、多額の外貨収入を得て、経済的に活況の状況にある。中東産油国と同じように、外貨収入がカザフスタンの第2次産業(製造業)育成などに回されることはない。カザフ人たちは中国製の衣服、自動車の部品、電気製品を買い求めて新疆ウイグル自治区に来ている。ウルムチには、そのような中央アジアの人々のための大きなバザールができている。商店の看板はロシア語・ウイグル語・中国語の表示がされている。

中央アジアとのビジネスチャンスを求めるためであろうか、ウルムチでロシア語学習熱が高まっている。新疆は、帝政ロシア、ソビエト連邦、ソ連崩壊後の中央アジア諸国と国境を接してきたため,外国語としてロシア語が学習されてきた。現代ウイグル語の外来語にはロシア語起源の語彙が多い。中国の沿海部の大都市において、外国語として英語や日本語が熱心に学習されているのとは対照的である。ロシア語を学習している教室にいるのは、そのほとんどが漢族であった。ウイグル族を見かけることはなかった。

新疆では国境を接しているカザフスタンとキルギス(クルグズ)とのビジネスが特に盛んである。人々の交流に使われる言語はロシア語である。新疆にはカザフ語とキルギス語を話す少数民族のカザフ人もキルギス人もいるが、これら少数民族は新疆でも辺境地域に住んでいるため,新疆での国境貿易を担うことは少なく、大きなビジネスは漢族が仕切っている。

数年前にNHKの新シルクロード番組でウルムチが放映されたように、ウルムチはシルクロードのビジネス都市で、漢族の都市に変貌している。往古のシルクロードは絹製品や陶磁器などをキャラバン(隊商)が駱駝の背中に荷駄を載せ東西に南北に交易を行っていた。1990年代から中央アジアと中国は人的・物的交流を拡大させ、再びシルクロードとなっている。

ウルムチのレストランで隣席のビジネスマンがアゼルバイジャンから来ていた。カスピ海産出石油景気に沸くバクーから来たビジネスマンはウルムチに中国製の靴など革製品を買い付けにきていると言っていた。バクーとウルムチ間はアゼルバイジャン航空が就航している。バクーのビジネスマンは空路でウルムチにきて商品を求め、買いつけた品物をコンテナーに詰め込まさせた。コンテナを積んだトラックがカザフスタン経由でバクーまで陸路輸送するとのことであった。雑談から、現代のシルクロード貿易の実態を知ることができた。

日本では知られていないが、現代のシルクロードも中国製品が西に運ばれている。このような内陸貿易では日本製品を見かけることはなく、中国製品のみである。質の向上した中国製品は、実用品として中央アジア・コーカサス・ロシアで広く使われている。日本製品は高品質に重点を置きすぎて高価格になってしまったため、ユーラシア大陸では日本製品を見かけるのは自動車ぐらいしかない。

新疆は中国において西の辺境地域であるかもしれないが、中央アジアから見ればシルクロードの東の始点です。 ウルムチでのロシア語学習が実用的な理由に基づいているように、ロシア語は中央アジアでの実用的な・実務的なリンガフランカとなっている。

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コメント

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