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2009年5月28日 (木)

アゼルバイジャン共和国独立記念日

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5月288日は南コーカサスのアゼルバイジャン共和国の独立記念日。この記念日は,1991年のソ連崩壊により,アゼルバイジャンが独立を「回復」し,アゼルバイジャン共和国が独立記念日として制定された。この日はソ連から独立の日ではない。1918年5月28日,アゼルバイジャン民主共和国が独立をゲンジェで宣言した。この共和国はイスラム世界で最初の共和国であった。アゼルバイジャン民主共和国は,三色旗の国旗(現在も使用)を制定し,紙幣を発行するなど独立国家の体裁を整えていた。しかし,この共和国は長くは続かなかった。1920年4月,赤軍がバクーに進駐して崩壊した。23ヶ月という短期間であった。

その後のアゼルバイジャンは,「アゼルバイジャン社会主義人民共和国」としてソ連邦内の一民族共和国となった。1930年代,スターリンによる大粛清はアゼルバイジャンにも及んだ。多くのアゼルバイジャンの知識人が殺害され,一部はシベリア強制収容所に流刑された。粛清された知識人の中には,アゼルバイジャン民主共和国の建国や運営も関わった人々も含まれていた。その数は多く,当時のアゼルバイジャンの指導的な立場にあった学者はほぼいなくなってしまった。粛清によるアゼルバイジャンでの人的被害はその後の発展に悪影響を及ぼしている。

ソ連の政策により,アゼルバイジャンでは意図的に「アゼルバイジャン民主共和国」の歴史を抹消していた。この共和国に関して,一般のアゼルバイジャン人はほどんど知らないという状態になっていた。しかし,ゴルバチョフが始めたペレストロイカやグラスノスチは,アゼルバイジャン人が忘れていた民族意識を覚醒させた。それまで禁止され,忘れ去られていたアゼルバイジャン民主共和国の「三色旗」が民族の統一のシンボルとして再登場した。

1991年にアゼルバイジャン共和国が独立を回復すると,独立記念日はソ連から独立の日を選ぶのではなく,ソ連に独立を奪われた民主共和国の独立記念日を選んだのであった。

アゼルバイジャン民主共和国評議会議長のラスザーデは,国家の独立を国旗に託して,“Bir kərə yüksələn bayraq bir daha enməz(一度掲げられた旗は二度と降ろさず)”と述べた。しかし,その共和国は大国ソ連・ロシアの介入により短命に終わった。21世紀,ロシアのグルジア侵攻を見て分かるように,南コーカサスの独立は大国ロシアの動きに大いに左右されている。この現状は100年前と同じである。国際社会の良心は,小国が独立を続けるためにもロシアの動向を注視していく必要があるであろう。

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