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2009年6月12日 (金)

アルタイ学者ポリワーノフの粛清

Polivanov 「polivanov.pdf」をダウンロード

言語学者エフゲニー・ドミトリエヴィッチ・ポリワーノフの写真,逮捕前と逮捕後の写真。

スターリンによる19371938年の粛清は,ソ連の学問にとり大きな損失を生じさせている。さまざまな学問分野での一流の研究者や先覚者を失った。ポリワーノフ(18911938年)もそのような学者の一人であった。ポリワーノフは数十の言語に通暁していたと言われている言語学者であった。彼は1914(大正3)年と1915(大正4)年に日本に短期留学し,日本の方言を研究している。ペテルブルグ大学で日本語研究を続けた。

ロシア出身の言語学者、ニコラス・ポッペの回想録によれば、ポリワーノフの講義は非常に優れたものだったが、その風体は「スラム街から来た浮浪者」のようだったとのことである。アルコール中毒者、麻薬常習者であり、泥酔して女子学生の部屋に侵入するなど不祥事が絶えなかった。片腕がなかったが、泥酔して市電のプラットホームに倒れた時に電車に轢かれたためである。言語の天才であった彼は,酒乱であるなど生活態度でも破天荒であったようだ。

1917年のロシア革命後,ソ連体制下でも言語の歴史的発展について独創的な論文を数多く執筆した。しかし,ソ連当局の意図には迎合しなかったので,ウズベキスタンのタシケントに異動させられた。中央アジアにおいて,ポリワーノフはトルクメン語など中央アジアのトルコ系諸語の言語研究でパイオニアとなっている。ポリワーノフは言語の天才であり,言語研究において独創的であった。

1937年に「日本のスパイ容疑」で逮捕され投獄された。1938年1月25日,ポリワーノフはモスクワの刑務所で獄死した。彼もスターリンによる粛清の犠牲者であった。日本語研究者でスタートし,中央アジアのトルコ系言語の研究で終焉を迎えさせられた。粛清された彼が残したトルクメン語の研究論文は今でも優れた業績であるが,日本では彼の学問を理解し評価できる人はほとんどいない。

ポリワーノフが日本のスパイとして告発され,言語研究者がスターリンの粛清によって殺された。スターリンの狂気は,言語研究者を反革命としてレッテルを貼った。粛清されていく研究者を横で見ていた研究者たちは,生き残るためソ連共産党の指導方針に迎合するのであった。ソ連の狂気が全ての学問に影響を与え,学問の良心を失わせていった。

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コメント

>ソ連当局の意図には迎合しなかった

これは、マル理論に迎合しなかったということでしょうか?

マル理論を批判する論文集『マルクス主義的言語学のために』を出版するなどマルの学説を痛烈に批判しました。スターリンの庇護を受けていた言語学者マルを堂々と批判したのは彼ぐらいでしょうね。彼も共産党員でしたが,マル理論がおかしいと批判した度胸は当時としてはたいしたものですね。

>マル理論を批判する論文集『マルクス主義的言
>語学のために』を出版するなどマルの学説を痛
>烈に批判しました。

凄いですね。あれ自体が後にスターリン当人によって反古にされたことを思えば、ひどい話だと思います。

ただ、スターリン時代にはN=ネフスキーみたいに、単に日本関係が長かったとか日本関係の学問をやっていただけで粛清された東洋学者は大勢いたので、いずれにしても抹殺された可能性は高いのでは無いでしょうか?

訂正:

×日本関係が長かった

○日本滞在が長かった

多分,粛清されていたでしょうね。ネフスキーも日本人の奥さんと粛清されました。この時代,多く研究者が粛清されましたが,日本学者コンラッドのように生き残った学者もいます。なぜ粛清から生き延びることができたか,興味あるところですね。

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