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2009年8月

2009年8月27日 (木)

ウズベキスタンの基地建設

ウズベキスタンのフェルガナ盆地のハーナーバード(Kanabad)で基地が建設されている。規模としては大きくはないようである。ハーナーバードはキルギスとの国境近くで,キルギスのジャララバードに近い。

今年5月26日,キルギスから越境してきた武装集団がこの地域を襲撃している。フェルガナ盆地はウズベスタンの農村地帯で農民たちは生活はできているが,タシケントのような都市生活を享受する生活レベルにはない。フェルガナではデモ隊が虐殺されるという事件が記憶に生々しい。この地域の生活レベルは低い。現金収入の手段がないので,麻薬の密輸に携わる人々も多い。この地域では,誘拐が頻発していて,若い女性たちが中東に人身売買されているという噂話も聞かれる。

フェルガナ地域は,ウズベキスタン・タジキスタン・キルギスの国境線が入り組んでいて,国境警備が手薄である。容易にアフガニスタンの麻薬が,タジキスタン,キルギス経由でウズベキスタンに運ばれている。麻薬の密輸防止,武装集団の越境阻止を目的のための基地建設であろう。

日本のJICA職員がキルギスのこの地域で誘拐されるという事件があったように,いまでも武装している集団が跋扈している。彼らは麻薬密輸や人身売買によって収入を得ている。軍事基地というよりも,国境警備隊の基地建設であろう。中央アジアにおいて,この地域は不安定な地域であることには違いなく,ここを通過する麻薬はロシアや欧州に流れている。

2009年8月25日 (火)

カザフスタンでイスラムTV局開局

8月22日からラマダン(断食月)が始まった。この日,カザフスタンの元首都アルマトゥでテレビ局《Asyl Arna》(神聖チャンネル)が放送を開始した。放送番組にクルアーン(コーラン)の読み方や解釈,イスラムに関する宗教教育などイスラムに関係するものが多く放映される。今後は放送エリアを首都アスタナ,アクタウなどに拡大するとのことである。

カザフスタンの遊牧民がイスラムを信仰するようになったのは歴史的に遅い。カザフ人のイスラム受容が遅かったこともあり,カザフ人は一般的にイスラムに対して厳格な信仰をもつ人が多くはない。部族社会に基づく遊牧民の価値観が優先している。都市部でなくなっているが,最近までカザフ人は7代遡って同じ部族出身であると結婚はタブーであった。韓国の同じ本貫出身者が結婚しないのと似たよう感じである。

イスラムへの信仰が希薄であるカザフ人が多く住み,オイルマネーを背景に急速に発展しつつあるアルマトゥにイスラムTV局ができたの興味深い。誰がこのTV局に出資したのであろうか? このTV局の視聴率は,多分高くはないと思うが,メディアを通じてイスラムを学ぶ機会ができた。イスラムTV局がイスラムへの信仰が低い地域であるカザフスタンでどういう活動を続けていくのか,イスラムは布教活動をしないと言われるが,《布教や宣教》の視点で興味深い。

2009年8月20日 (木)

中立国トルクメニスタンと米軍高官

8月14日,米軍中央司令部David Petraeus司令官がトルクメニスタンを訪問した。司令官の訪問は,米軍とトルクメニスタンの協力関係を強化するとのことである。

最近,ロシアは中央アジア諸国に対して積極的な軍事・外交を推進している。ロシアはキルギスで軍事基地を開設し,中央アジアやアフガニスタンに睨みをきかせようとしている。一方,米国はロシアに比べると,中央アジアで軍事・外交が一歩遅れているかのように,日本の報道だけでは思えてしまう。しかし,米軍は水面下で中央アジア諸国との軍事交流や情報収集を進めている。

トルクメニスタンは中立国として,ロシアと距離をおく外交を推進している。このため,《中央アジアの北朝鮮》と呼ばれたこともあったが,北朝鮮とは異なり,トルクメニスタンは米軍と情報を交換している。米軍がトルクメニスタンとどのような協力関係にあるかは,残念ながら,その内容は不明である。トルクメニスタンが《中央アジアの北朝鮮》という例えは間違っている。

トルクメニスタンは,中立国として生き残るため,鎖国をして孤立しているように見えるが,現政権は国際情勢の推移を見ながら,ロシアと米国を天秤にかけつつ外交を進めている。意外にしたたかである。12月には,トルクメニスタン大統領が初めて訪日する。

2009年8月19日 (水)

中央アジアの教育と賄賂

1991年のソ連崩壊してから現在に至るまで中央アジアであまり変化していないことに《賄賂》がある。とくに,教育面での贈収賄は一向になくなる気配がない。ウズベキスタン,トルクメニスタン,タジキスタン,キルギスタン,カザフの中央アジア諸国の大学において,入学試験,定期試験,卒業試験で教授など教員たちは学生から《心付け》をもらうことが当たり前となっている。教員たちの給料が安いから,賄賂によって補填している。トルクメニスタンでは,教育が無料であっても,教師に払う《心付け(elaklyk)》があるから,児童や生徒の親の負担は軽くはない。《ただより高いものはない》という諺の通りである。

中央アジアでは,貧しい家庭の子弟が高等教育を受けることがますます難しくなっている。賄賂を払った学生は,それなりの公職に就いたとき,払った分の賄賂を取る戻すべく,賄賂を要求するようになる。中央アジアの教育の場から贈収賄がなくなる見込みは今のところない。これでは贈収賄の悪循環を断ち切ることはできない。

かつてウズベキスタンには,トルコのあるグループが支援し開校した中学・高等学校がフェルガナ,サマルカンド,ブハラなどにあった。まじめなトルコ人の教師が派遣され,やる気のある現地の生徒たちを教えていた。教師たちは賄賂を受け取ることもなかった。このような教育に脅威を抱いたウズベキスタン教育省は,理由をつけて閉鎖してしまった。タシケント,ブハラ,サマルカンドでこれらの学校を卒業したウズベク人の若者たちに会ったことがあるが,みなまじめで優秀であった。その卒業生たちは,教師たちは厳しかったが,よい教育であったと語っていた。

明治維新以来,日本は教育に力を入れてきた。最近,《ゆとり》教育で学力低下が問題になっているが,日本の教師たちは賄賂を取ることはない。我々にとって,当たり前のことであるが,中央アジアでは当たり前ではない。中央アジアの未来が明るくないのは,このような教育の現場で,若いときから賄賂を払わないと,教育を受けられない,負の面を知って成長しているからである。中央アジアの教育の現場での《賄賂》の連鎖が解消されない限り,中央アジアから《賄賂》がなくなることはない。

中央アジアの教育と賄賂は切り離せない,これでは志ある若者たちが多くいても,中央アジアの未来は表面的には明るくとも,深層の面では明るくない。

2009年8月17日 (月)

南京虐殺記念館とウイグル語

Nanking01 日本では南京虐殺記念館として知られているが,正式名は《侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館》である。

ここを訪問すると,新館1階入り口でレンタル案内レコーダーを借りることが出来る。中国語,英語,フランス語,ドイツ語,ロシア語,日本語,韓国語,アラビア語,広東語,モンゴル語,チベット語,ウイグルなど12種類の言語の案内レコーダを利用して,展示ホールの文物,展示品について詳しい説明を聞くことができる。展示されている物には,日本から提供されたものや日本で収集した物が多い。

少数民族言語として,ウイグル語,チベット語,モンゴル語がある。案内レコーダを借りる見学者は,漢族か,外国人が多く,中国少数民族はいなかった。ウイグル人がこの虐殺記念館を見学するとき,どういう感情を持ちながら見学するのか,とふと考えてしまった。

戦争,虐殺などで死去した世界の人々に合掌。

2009年8月 7日 (金)

新疆の民族衝突と民族分断工作

報道によれば、「新疆ウイグル自治区当局はウイグル族の優秀幹部1000人を選抜し、「政治宣伝チーム」を結成。ウイグル族の居住区に派遣して戸別訪問を行い、監視活動や情報収集に当たらせている。報奨金を出して密告も奨励し、ウイグル族が団結して抗議行動を起こすのを阻止する分断工作も巧妙に進んでいる」という記事がでていた。

分断工作が巧妙に進んでいるように見えるかもしれないが,少数民族たちの憎悪が一層高まっている。ウイグル族の優秀幹部とは、ウイグル人の共産党員のことである。彼らは元もと体制側にいるから,一般のウイグル人たちは最初から信用してはいない。日本のジャーナリストは,現地当局が発表している<優秀幹部>という言葉を鵜呑みしているが,体制側のウイグル人共産党員が少数民族を代弁していないこと,何をもって<優秀>であるかを,報道の自由のある日本の記者はもっと掘り下げてもらいたい。

中国共産党が中国伝統の統治方法の「以夷制夷」である,異民族を使って異民族を支配する,という政策を採用している。しかし,この統治方法はいつの時代も成功したことはない。いまの中国の領土が,異民族であった満洲族の清朝の乾隆帝時代の領土を継承している。新疆も乾隆帝の時代に平定されている。清朝がある程度広大な領土の統治に成功したのは,皇帝が満洲族とういう異民族で,異民族が異民族を統治したからであった。

中華思想により,漢民族が異民族を蔑視しているから,漢民族が異民族を統治してうまくいったためしはない。漢民族ではなく,異民族(清朝)が画定した領域を統治しようとしても,必ずほころびがでるのは歴史に由来している。しかし,現代の中国の歴史認識は,このことを絶対に認めない。

2009年8月 4日 (火)

Ерак Көнчыгыгыштагы татар-башкортлага ни булды

Nadirdevlet01 НадирДәүәт, Ерак Көнчыгыгыштагы татар-башкортлага ни булды, Kazan 2005, 99c.

(Nadir Devlet, Yırak Könçıgıştagı Tatar-Başkortlarga ni buldı, Kazan 2005, 99p) <タタール語,400部出版>

トルコの研究者で自らも奉天(現瀋陽)生まれのタタール人であるNadir Devlet教授が『極東でタタール・バシュコルト人たちに何があったか』という題名で極東のタタール人コミュニティーの歴史について,タタール語で出版している。99頁とコンパクトではあるが,満洲や日本に移住したタタール人を知る上で参考になる。掲載されている写真は個人蔵のもので未発表のものばかりである。タタール人経営の小田原の洋服店の写真など珍しいものも掲載されている。

Nadir Devlet教授は幼くして両親と引き離されている。彼の両親は満洲に進駐してきたソ連軍により反ソ活動の容疑で逮捕れた。彼は祖父に育てられた。1950年代に祖父達家族とトルコに移住している。ソ連に連行された母親とは,その後30年後に再会している。彼自身が生きたタタール人の歴史でもある。

この本はトルコ語版もなく,トルコでも知られていない。日本でも知られることもないと思い,参考まで紹介した。この本と同時に,彼の母親の回想録も出版されている。これも当時の極東のタタール人社会を知るのに興味ある情報を提供してくれている。

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