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2009年9月

2009年9月28日 (月)

NHK海外ネットワークと新疆

昨日27日のNHK海外ネットワークで「建国60年 台頭する中国のいま」で中国を特集していた。その中で民族紛争として,新疆問題が取り上げられていたが,取材した場所は石河子市だけであった。中国当局の許可が下りたのが石河市だけだったようだ。石河子市は新疆ウイグル自治区成立後に新疆建設兵団が開拓した漢族の都市である。石河子市共産党幹部や元建設兵団の兵士の発言だけを聞いて報道していた。漢族の新疆入植の正当性だけが語られていた。これではNHKは中国共産党のプロパガンダの一翼を担っていると言われても仕方ないであろう。

このテレビ番組を見た在日ウイグル人が「何でNHKはこんな偏向報道するのですか」と怒って電話をかけてきた。中国にいる少数民族の人々には発言の場所がないでのある。中国共産党の代弁にNHKは協力していると少数民族の人たちは見ているのである。メディアは弱者の味方になり,権力を批判的に報道するものだと思うが,NHK自身がメディア権力になっていることにより,弱者のことには関心が払われないのであろう。

2009年9月27日 (日)

グルジア・ゴリのスターリン博物館は無事

毎日新聞の特派員スケッチでスターリン博物館の様子が掲載されている。

スターリンが移動に使用した客車も無事であった。ロシア・グルジア紛争でゴリがロシア軍に占領されたが,スターリン博物館を保全したようだ。ロシアの指導者であったスターリンの博物館に対して,ロシア軍は略奪を禁止してのであろう。

http://mainichi.jp/select/world/corres/news/20090927mog00m030009000c.html

2009年9月23日 (水)

松谷浩尚著 『日本とトルコ-日本トルコ関係史ー』 

Matsutaninippontoruko 松谷浩尚著 『日本とトルコ-日本トルコ関係史ー』(中東調査会,1986年,1300円)

松谷氏は,トルコ語の外交官として長年日本とトルコの交流に尽力され,イスタンブル総領事を最後に退官された。松谷氏はトルコに関係する著作を多く著している。 『日本とトルコ-日本トルコ関係史ー』 は,日本・トルコ関係史を知るの役立つ著作である。中東調査会から出版されたため,図書館に収蔵されていないことが多い。

松谷氏がこの本を出版してから20年が経過し,日本・トルコ関係はさまざまな分野で深まっている。来年2010年は「トルコにおける日本年」であるが,日本・トルコ関係史を総括するような続編が出版されればいいと思う。華やかなパフォーマンスが多く企画されているようだが,地味ではあるが日本・トルコの関係をファクトとして知り得る書籍があれば有意義だと思うのだが…。

2009年9月19日 (土)

北京大学でのインターネット検索

北京大学でインターネットにてウイグルやチベット関連のサイトを検索してみた。日本で言われている通り,中国から海外のサイトにはつながらなかった。中国共産党の統治にとって都合の悪い海外サイトは検索できず,入力してもつながらない。中国国内にいる限り,海外情報を入手することの難しさを実感できた。

日本において海外情報を自由に入手できるのに比べると,人口10億を超える中国での海外情報は極めてバイアスのかかったものである。中国人はそのことに気付いていない。中国共産党の情報統制は非常に巧みである。

2009年9月15日 (火)

駐日グルジア大使の離日

去年,初代駐日グルジア大使イワネ・マチャワリアニ閣下(His Excellency Mr. Ivane MACHAVARIANI)は、2月8日(金曜日)皇居において、天皇陛下に信任状を捧呈した。
それから1年半で理由は不明であるが,任期を終えてグルジアに9月17日に帰国する。もう少し,日本とグルジア友好関係の増進に貢献して頂けると思ったが残念であった。若い大使のグルジアでのご活躍を祈念します。

2009年9月13日 (日)

NHK海外ネットワークとウイグル料理

今日のNHK海外ネットワークの番組は,イスタンブルのレストランの様子を紹介していた。イスタンブルならトルコ料理のレストランの紹介が普通であるが,今日はウイグル料理のレストランが放映されていた。イスタンブル旧市街のアクサライにあるウイグルレストランであった。トルコ人はウイグル料理のラグマン(肉うどん)を知らない。ハシでラグマンを食べている人(多分,ウイグル人)がトルコ語で「ラグマンはおいしい。《東トルキスタン》を思い出す」と語っていた。NHKはさすがに《東トルキスタン》という発言を通訳しなかった。

海外ネットワークは,世界情勢の知るのにいい番組であるが,イスタンブルになぜウイグル料理店があるのか,少し補足すればよかったと思う。しかし,そこまで番組制作者は気づかなかったのかもしれない。

2009年9月11日 (金)

キルギスの公立マドラサ(宗教学校)

キルギス共和国南西州バトケン地区に公立のマドラサ(宗教学校)がキルギス政府公認で開校した。

バトケン地区に関して,今では忘られつつあるが,1999年8月JICA専門家の日本人4名がイスラム武装勢力によって拉致され,2ヶ月間の交渉の末に解放された。中央アジアで日本人がイスラム武装勢力に拉致された最初の事件となった。この交渉では,ペルシア語に堪能なウズベキスタン大使館の高橋博史参事官が尽力しているが,彼の活躍については知られることはない。ウズベキスタン大使の中山恭子大使(当時)も高橋博史さんが活躍したと言っていたが,日本のマスコミが使えることはなかった。

日本側は身代金を払っていないと言っていたが,現地イスラム勢力の仲間割れから,身代金を支払っていることが後に明らかになってしまった。しかし,日本側はいまでも支払っていないと言っている。日本人の人質事件や拉致事件が起きないためにも,このような態度は仕方がないかもしれない。どこでもそうだと思うが外国で仕事をするに際して,現地情報を収集することは非常に大切だ。その点,拉致事件に巻き込まれたJICAはいまでも中央アジアでしっかりとした,現地情報を入手しているのだろうか。

バトケン地域はイスラム武装勢力,部族勢力など争い,軍閥が群雄割拠するような場所であったが,いまでは比較的落ち着いている。しかし,アフガニスタンからの麻薬の密輸ルートであることには変わりない。群雄割拠はなくなったが,キルギス政府がコントロールできないマドラサがあり,そこでは過激な思想が教えられている。キルギス政府は政府がコントロールできるイスラムにしたく,バトケンに公立のマドラサを開校した。私立のマドラサに政府は閉鎖命令をだした。

キルギスの首都ビシュケクではなく,首都から遠いバトケンに公立のマドラサが開校する必要があるのは,バトケンに政府のコントロールがきかないイスラム勢力がまだあることを示している。これらイスラム勢力がマドラサに使う経費はいったいどのようにまかなっているのか興味深い。

2009年9月10日 (木)

『包尓漢画伝』(民族出版社)

Burhanhyoshi 『包尓漢画伝』(民族出版社,2006年5月,北京,268元)

ブルハン・シャヒディ(1894-1989)が没して30年経過しているが,彼について回想する動きは北京で政府が一部放送でおこなった程度である。新疆ウイグル自治区成立で果たした彼の役割を考えると,中国共産党はもう過去の人として顕彰することない。彼が漢族であったなら,没後30年に際して,盛大な顕彰が行われるであろう。共産党が少数民族の政治家を大々的に顕彰しないのは,中華主義からすれば当然なのかもしれない

ところで,ブルハンを顕彰する書籍が多くの興味深い写真を入れて出版されている。漢語とウイグル語の2カ国語で彼の生涯を顕彰している。読者は漢族を想定しているのか,漢語が主でウイグル語が従というような形となっている。しかし,果たして,漢族でこの書籍を購入して読む人はあまりいないと思われる。きっと,購入するのは日本人など外国人かもしれない。この本について新疆のタタール人が教えてくれた。

参考までこの本の目次を掲載する。

第一章 従店員到省政府主席

第二章 改造旧新疆 建設新新疆

第三章 推進民族区域自治

第四章 新中国的 ”和平鴿”

第五章 蒙冤十三載

第六章 金色的晩年

后記

この書籍を読んでいると,タタール人の異民族が歴史に翻弄されて体制内のウイグル族指導者になっていく様子がよく分かる。

毛沢東とブルハンが一緒に写っている写真を下に挙げる。

Burhanmao_4

2009年9月 9日 (水)

ブルハン・シャヒディ没後20年

Burhangabain01 新疆ウイグル自治区成立で貢献したブルハン・シャヒディが北京で没して20年になる。ロシア帝国に生まれたタタール人が新疆(東トルキスタン)にやってきて,新疆で活躍し,新疆ウイグル自治区成立に貢献した。

中国共産党は,「中国政治協商会議副議長とイスラム教会名誉会長などに務め、新疆の平和解放や民族自治に大きく寄与した」と彼を賞賛している。タタール人がウイグル人となり,そして中国の少数民族ウイグル族の指導者となったブルハンが没して20年になる。新疆での騒動の影響なのか,新疆で彼の没後20年を記念する会議開催についての話がでてこない。作られた体制の指導者は人気がなかったのだろうか。

ところで,掲載した写真は,1981年にブルハンと古代トルコ文献研究者アンネマリー・フォンン・ガーベン教授が北京で面談し,握手している様子である。中央アジアの現代史の生き証人と古代トルコ文献研究者が邂逅した珍しい写真でもある。

2009年9月 6日 (日)

カザンのコル・シャリフ・モスク

Kazanmesjit

ロシア連邦タタールスタン共和国の首都カザンの中心に城塞がある。これはクレムリンと呼ばれている。ロシア語ではクレムリは「城塞」を意味する。中世ロシアにおいて,多くの都市は中心部にクレムリンを備えていた。

カザンの前近代の歴史は,11世紀初頭にヴォルガ・ブルガール人によって建設された。15世紀にはカザン・ハン国の首都として栄えたが,1552年カザンはイヴァン4世(イヴァン雷帝)に占領される。破壊されたカザン・ハン国の城砦のあとにはカザン・クレムリンが建設された。1708年にカザン・ハン国が廃止され、カザンはロシア帝国の地方都市、カザン県の県都となった。1774年,プガチョフの乱で破壊された

カザンはロシア帝国では地方都市,ソ連時代には民族共和国の首都,いまはロシア連邦のタタールスタン共和国の首都となっている。民族的には,トルコ系タタール人が人口の半数を占め,ロシア人も半数ぐらいを占めている。タタール人たちはイスラム教徒であるが,世俗主義が進んでいてイスラム色を感じすることはない。カザンは19,20世紀のロシア帝国でイスラム・モダニストと呼ばれる知識人を輩出してきた。日本では知られることはないが,カザンはロシアのイスラムの中心の一つであった。

カザン・クレムリンの城塞の中にモスクが建設されたことは,タタール人にとってイスラムのシンボルとなっている。タタール人たちの信じるイスラムは世俗主義が進んでいるので,ロシア人との共存がうまくいっている。イスラムが文明間の衝突でしか理解できない日本人にといって,イスラムとロシア正教が共存しているカザンを知ることには意義があると思う。しかし,カザンを訪問するにも,ロシア査証(ビザ)取得が簡単ではない。ロシアが日本人の前にユーラシア大陸のイスラムやトルコ系諸民族を理解する障壁となっている。

2009年9月 5日 (土)

トムセンと突厥文字

Vilhelmthomsen 18世紀初に突厥文字で刻まれた古代トルコ語碑文が発見されて以来,19世紀末までモンゴルやシベリアで突厥碑文が多く発見された。8世紀に突厥民族が活躍していた頃に作られた。突厥の歴史については,護雅夫著『古代遊牧帝国』(中公新書)がコンパクトにまとめられている。

突厥碑文を解読したのは,デンマークの言語学者ヴィルヘルム・トムセン(Vilhelm Thomsen, 1842-1927)であった。トムセンは,印欧比較言語学者として,ギリシア語,ラテン語,梵語など多くの言語に通暁していた。彼が言語学者として歴史に名を残すことになったのは突厥文字の解読であった。

未解読文字の解読に関しては,古代エジプトの象形文字解読のシャンポリオンが有名である。シャンポリオンが象形文字を解読する糸口を見いだしたのは,現在大英博物館に展示されている《ロゼッタストーン》に刻まれた王の名前であった。《ロゼッタストーン》は聖刻文字・ギリシア語・民衆文字の対訳のテキストがあったから可能であった。

トムセンが突厥文字の解読が可能だったのは,《ロゼッタストーン》と同じように,対訳の碑文が発見されたからであった。1890年,突厥碑文と漢文の対訳碑文が発見され,その後トルコ学者ラドロフが突厥碑文・漢文・ウイグル文の3種の文字による碑文が発見され,文字解読の材料がととのった。これらに碑文に刻まれた固有名詞《キョルテギン》や《ビルゲ・カガン》などの固有名詞,突厥碑文の文字が右から左へ読むことがヒントとなった。1893年,トムセンが突厥文字を解読した。

トムセンの名前は知られているが,彼の顔を見ることは少なく,参考まで写真を掲載した。言語学者泉井久之助は,戦前トムセンの言語学の本をデンマーク語から翻訳している。この本は古本屋でいまでもみかける。トムセンの論文《東トルキスタン》も翻訳しているが,雑誌に掲載されたため,こちらは全く忘れられている。

2009年9月 4日 (金)

新疆ウイグル自治区での漢族デモ

3日,ウルムチで住民数万人が治安の保証を求め,地元政府に抗議のデモを行ったと新華社が報道している。

新華社の報道を読むと,中国共産党が自由にデモができるように許可を与えると誤認してしまう。デモ行進は当局が許可を与えない限りできない。共産党はデモ行進の危険性を上海の反日デモの拡大で経験すみである。上海でも北京でもデモ行進をする自由は中国にはない。住民数万人のデモ行進が行われたのも,共産党の許可と意図があったと見るべきであろう。

報道の自由,言論の自由,政治結社の自由のない中国において,大都市で行われるデモ行進の背後には,政治権力闘争などがあり,実は政治的なシグナルが流れている。

今回のウルムチでのデモ行進をどう解釈したらいいのだろうか。いずれにしても,ウイグル族と漢族の関係が好転することにはつながらないことだけは確かである。

2009年9月 2日 (水)

新疆での騒擾事件

日本で仕事をしているウイグル人の友人が夏休みで新疆ウイグル自治区に帰省していて,新疆での騒擾事件に遭遇した。事件当日,友人はウルムチにはいなかったが,事件発生後に新疆南部のウイグル人の村にいたとき,公安警察がきて家宅捜索をしたそうである。友人は日本でビジネスをしているので,家宅捜索に恐怖を感じたが,拘束されることはなかったので,安堵したそうだ。事件後,日本に電話もメールもずっとつながらず,先週北京経由で日本に帰国したが,北京にきて約1月半ぶりに日本と連絡できた。それまで新疆から全く日本と連絡ができなかった。

彼の話では,現地のウイグル人たちの多くが,「今回の事件は,地元政府が悪く,北京中央政府は悪くない」と思っている。新疆のウイグル人たちは,中国共産党による情報を信じていて,口コミの情報もそれに近いものが多いようだ。友人も日本に戻るまで,地元政府が悪いというのを信じていた。帰国してから,新疆情勢を客観的に判断できるようになった。

ウイグル人の友人の話を聞きながら,中国国内および新疆ウイグル自治区における中国共産党の情報統制と情報工作はうまくいっていることが分かった。中国において,国外のニュースや情報を得ながら,客観的に情勢判断するのが漢族,少数民族を問わず無理である。

中国共産党のプロパガンダ工作は,中国国内向けだけではないことも,我々は改めて考える必要があると思う。

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