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2010年2月18日 (木)

東トルキスタン基金会長ルザ・ベキン将軍死去

2月16日午後8時,東トルキスタン基金会長のルザ・ベキン将軍がアンカラの病院で死去した。ご冥福を祈ります。

ルザ・ベキン将軍は,1924年に東トルキスタン(新疆)のホータンで誕生した。1934年,家族とマッカ巡礼の帰路,アフガニスタンのカブールで伯父のムハンマド・エミン・ブグラ(東トルキスタン共和国建国者の一人)と再会した。伯父ブグラとアフガニスタン駐在のエセンダール・トルコ大使の尽力により,ルザ少年を含む9名の東トルキスタンの青少年が教育を受けるためトルコに送り出された。ルザ・ベキン少年は,トルコではコンヤ陸軍幼年学校,クレリ陸軍予科士官学校,陸軍士官学校を卒業し,陸軍少尉に任官した。1950年には朝鮮戦争にも従軍している。その後,さまざまな軍歴を重ね昇進した。1973年に陸軍准将(ワンスター)となり,砲兵教育旅団司令官など勤め,1977年に退役した。

ルザ・ベキン将軍は,東トルキスタン出身でトルコで正規の陸軍教育を受けて将校に昇進し,将軍まで上り詰めた唯一の将軍であった。生前,何度かお会いすることがあったが,小柄でやさしい人柄で陸軍の将官であったというような,厳めしさはなかった。将軍との会話で将軍が最初に会った日本人は,1930年代にカブールに滞在していたときの日本人外交官の朝倉氏であったそうである。当時,伯父のブグラとカブール駐在の日本人大使館員とは頻繁な交渉があったそうである。朝鮮戦争でも日本で休暇を過ごしたこともあった。その後も,何回か日本を訪問する機会があったそうである。将軍との会話では,日本人や日本に対して,友好的かつ好意的であった。

ベキン将軍は故郷のホータンを訪れることはかなわなかったが,東トルキスタンへの思いは非常に強かった。将軍のご冥福をお祈りしたい。

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コメント

ブグラを伯父とされていますが、従兄弟ではないでしょうか。ルザ・ベキンの父のアリーとブグラの母のサキネが兄弟のはずですから。それから、彼がブグラと再会したのはカーブルではなく、ラダクを少し過ぎたところと自ら書いていますが。

コメントありがとうございます。トルコ語でいうと,amcazadesi ve eniştesiとなりますが,簡単に伯父としました。正確には従兄弟が正しいと思います。言葉たらずでした。正確にはご指摘の通りです。本人から正確な地名を聞いたのですが,残念ながらメモしなかったので,失念しました。

ムハンマド・イミン・ボグラの実娘への聴き取りによりますと、ボグラの後妻のお兄さんが、リザ・ベキン氏とのことです。ご参考:拙稿「ムハンマド・イミン・ボグラと『東トルキスタン史』を語る」

後妻のアミネについて、ルザ・ベキンが回想録の中で、姉と書いていますが、どちらが正しいのでしょうか。

ご指摘ありがとうござます。ご参考まで,故ベキン将軍にはアンカラ大学中国学のベキン教授(故人)と同名でよく混同されたご兄弟がいました。

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