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2010年3月

2010年3月26日 (金)

駐日カザフスタン大使と日本語

アクルベク・カマルディノフ駐日カザフスタン大使は日本語に堪能である。母国語(カザフ語)以外にロシア語,英語が堪能なポリグロットである。1994-95年には,国際交流基金北浦和日本語センターで研修を受けている。カザフスタンの知日派の有力者の一人である。1991年にソ連が崩壊し,カザフスタンが独立して20年近くなっている。この20年の間に日本語ができるカザフ人外交官が大使にまで上り詰めている。カザフスタン外務省は知日派外交官を養成している。

他方,日本外務省はこの20年で対中央アジア外交や対カザフスタン外交で,中央アジアやカザフスタンを知る第1級の外交官を輩出できているのであろうか。中央アジアなどを旅していて,そのような日本人外交官に出会ったことがない。

カザフスタンが日本を重視する姿勢を見せているのに,アジアの大国を自負する日本外務省は,そのような動きに対応できていない。それもカザフスタンを中央アジアの大国であるのに,欧州局の中に位置づけている。このような思考では,外交でダイナミズムを示すことも無理なのかもしれない。

2010年3月23日 (火)

アタチュルク像がお台場の船の科学館に仮設置

新潟県・柏崎市から和歌山県・串本町に移転されることになったトルコ建国の父ケマル・アタチュルク初代大統領の銅像が3月18日,東京・お台場の船の科学館に到着,外装などを整えた後,5月中旬にも串本町に運ばれ,日本トルコ友好120周年記念事業が行われる6月3日に除幕式が行われる。

銅像の移設費用は,日本財団が負担している。和歌山県串本町に設置されれば,日本・トルコ友好のシンボルとなろう。アタチュルク像問題は,関係者の尽力により解決に向かいつつある。

2010年3月16日 (火)

トルクメニスタン大統領と日本

昨年12月,トルクメニスタン共和国のグルバングルィ・ベルディムハメドフ(H.E. Mr. Gurbanguly BERDIMUHAMEDOV)大統領は日本を訪問した。同大統領は訪日中に日本を紹介する英文書籍100冊を寄贈されトルクメニスタンに持ち帰った。大統領はトルクメン語に翻訳して日本を紹介したいと言っていた。大統領の率直な気持ちが日本とトルクメニスタンの間の友好を広げるのに役立つであろう。贈呈された書籍で,いったいどの本が最初にトルクメン語に翻訳されて,トルクメン人の学生たちが読むのであろうか

日本の文化を海外に普及させるのは外務省やその関連団体である国際交流基金の仕事であるが,文化予算を削減されて活動が縮小している。日本では,トルクメニスタンを中央アジアの北朝鮮などと皮肉ることがあるが,トルクメニスタン大統領の好意がなければ,日本を紹介する書籍がトルクメン語に翻訳される機会はないであろう。

日本の文化を海外で知ってもらうことは地味ではあるが,草の根の知日派を増やすことでは非常に重要だと思う。このような息の長い仕事は,外務省や国際交流基金の官僚ではできないのだろう。それと,民主党の業務仕分けでは,海外での文化予算の重要性は理解されない。これでは日本がますます内向きになっていく。

2010年3月15日 (月)

カザフスタンでの嫌中・反中国感情

中国が経済大国として擡頭すればするほどに隣国や周辺国で不安と期待が渦巻いている。日本でも中国脅威論の書籍が売れる一方,財界は対中ビジネスに益々傾注している。いまや日本は中国に経済面で死命を制されるような状況になりつつある。

カザフスタンは中国(新疆ウイグル自治区)と非常に長い国境線を接している。トルクメニスタンから中国に延びるガス・パイプラインは,カザフスタンを経由している。このパイプライン建設には中国政府が巨額の資金を提供している。中央アジア諸国は天然ガスを輸出するためにはロシア経由のルートしかなかったが,中国向けパイプラインはロシアによる中央アジア天然資源の独占を打破し,中央アジア諸国にとって天然資源の輸出価格の設定で有利となった。

カザフスタンなど中央アジア諸国の政府は,中国の中央アジアでのプレゼンス拡大をロシアに対抗するものとして,表面的に歓迎している。ロシアと比べると,中国政府の援助や資金提供はロシアよりはるかに機動的に素早く実施されている。このことからも歓迎されている。

しかし,中央アジア諸国において,一般市民が急速な対中接近に反発することも起きつつある。中国政府がカザフスタン政府に対して,大豆や小麦の栽培に数百万ヘクタールの土地を貸与するよう要望した。この中国の要望に反発して,1月にアルマトゥで政府の対中政策を批判するデモが起きた。

中央アジア諸国は,天然資源に恵まれたカザフスタンを除いて,貿易不振などにより歳入不足になっており,とくにキルギスは中国からの援助をますます必要としている。実際にキルギスで中国が供与したバス(中国・キルギス友好と表示)が各都市の公共輸送手段になって目立っている。これに対して,日本が供与したバスは,日本がODAで供与したとの表示も色あせている。これは最近の日本の対中央アジア支援の現実を現している。

中国のプレゼンスは中央アジアにおいて,ますます大きくなりつつある。しかし,政府とは異なり,反発や歓迎しない一般市民も存在するようになりつつある。嫌中・反中国の感情は中国が擡頭すれば周辺諸国で共通しておきる現象である。

2010年3月14日 (日)

The Nagorno-Karabakh Conflict

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Johannes Rau, The Nagorno-Karabakh Conflict between Armenia and Azerbaijan, A Brief Historical Outline, Verlag Dr. Köster, 2008, 96p.

アルメニアとアゼルバイジャンの紛争を理解するのに役立つ書籍。

ナゴルノ・カラバフ紛争について,その歴史から説明している。欧米にアルメニア系の人々が多くいることもあって,この紛争に関して,アルメニア側を支持する意見がメディアを通じて流されている。

この紛争により,アゼルバイジャンはその領土を20%占領され続けている。また,この紛争の中で「ホジャル事件」が起きて,おもにアゼルバイジャン住民が数百名虐殺されている。この虐殺事件について,欧米で言及されることはない。このことを見ても西側メディアが客観的ということがウソであることが分かる。

この紛争を日本人が中立的・客観的に理解することは難しいが,この書籍から得られる知識は,この紛争が歴史的にどのようにして作られてきたか理解するのに役立つことは間違いない。

2010年3月13日 (土)

ウズベキスタンでのビジネスマンたちの逮捕

今週はウズベキスタンで大金持ちのビジネスマンたちが逮捕や拘留された。

中央アジアでは,1991年の独立以来,天然資源に恵まれたカザフスタンを除いて,経済的な発展が順調とは言えない。賄賂が横行し,政府とコネのない者がビジネスで大きく成功することは難しい。

今週,逮捕や拘留されたビジネスマンたちも政府と密接に結びついて事業を成功したビジネスマンたちだ。コネと賄賂で成長したとも言えよう。しかし,なぜ彼を逮捕したのだろうか?ウズベキスタン政府は大きな財源がなく,彼らの会社から搾りとろうと考えているのか,それともウズベクのある姉妹に関連する企業グループと競争させないため,芽を摘んだのであろうか。ウズベキスタンでは,こういうことが何回か起きており,特定の企業集団が産業を独占することが起きている。

これでは健全な産業の成長は望めない,若者失業者が増えるだけで何の解決策にはならない。ウズベキスタンは中央アジアで中心的な役割を果すことのできる,潜在力のある国家であるが,健全な成長はこれからも難しそうだ。これでは日本の企業に進出してくれと言っても無理であろう。

2010年3月12日 (金)

米軍中央軍司令官のキルギス訪問

米軍中央軍司令官David Petraeus将軍がキルギスを訪問し,キルギスのバキエフ大統領と会談した。会談では米国が反テロ訓練センター設立を支援することを約束した。米軍はキルギス南部に米軍基地開設を求めていないことを明らかにしている。米軍がなぜキルギス南部のテロ問題を意識するのだろうか。

キルギス南部のバトケンにおいて,いまは忘れられつつあるが,1999年にJICAの鉱物資源専門家がイスラム過激派に誘拐された。キルギス南部の山岳地帯は,ウズベキスタン,タジキスタンの国境に近く,イスラム過激派や麻薬の密輸関係者が往来している。

米国は対アフガニスタン作戦でタリバンの活動を押させるため,キルギス南部でのイスラム過激派の活動を封じる必要があると考えている。そのため,対テロ訓練センターの開設に協力する。同時に,援助として,婦人の職業訓練センターも開設して,民間に対しても支援をするようだ。

2009年6月にはキルギスのマナス空港を米軍使用の期限がくるが,米国はマナス空港の使用延長を希望している。バキエフ大統領は使用料で折り合わず,延長しないと,ロシア大統領との会談のときに明らかにした。

キルギスにとって,米軍から入る使用料は莫大で,この利権を失いたくないのが本音であろう。最終的には,キルギスは米軍のマナス空港の使用延長を認めるだろう。キルギス政府は使用料が入らなくなった場合,これにかわる援助がロシアや中国からは直ぐには入ってこないことを,現実的に理解している。キルギスと米国の駆け引きが続いている。キルギスに関して,この米軍の使用料問題が注目されているが,米軍駐留によって,米軍に役務を提供する民間業者の利権が一部の政府関係者に独占されている。甘い汁を吸う政治家は世界どこでも同じようにいることは確かだ。

2010年3月11日 (木)

アタチュルク像,新潟から和歌山県串本町へ

トルコ政府が新潟のトルコ文化村(廃園)に寄贈したアタチュルク像は,所有者がかわり,その後,アタチュルク像をめぐり柏崎市と所有者の間でトラブルが続いていた。去年,駐日トルコ大使と日本財団関係者の尽力により,問題は解決に向かいつつある。アタチュルク像は新潟から和歌山県串本町に運ばれ,建立される予定である。

和歌山県串本町は,オスマン帝国海軍軍艦エルトゥールル号遭難後,遭難者を救助し,溺死者を手厚く埋葬した。草野の根レベルで日本・トルコ間の友好関係を長年続けてきた。今回,アタチュルク像が串本町に落ち着くことになったことは非常に喜ばしいことだ。

それにしても,メンツにこだわって問題を長引かせた柏崎市に比べると,和歌山県串本町は,日本とトルコの友好親善に貢献するところ,大と言えよう。アタチュルク像は,串本町移設で日本・トルコ間の友好のシンボルになることは間違いない。

2010年3月10日 (水)

タシケントの図書館と貴重書保存

タシケントのアリーシール・ナヴォイ図書館が2003年以降正常に機能していない。この図書館は帝政ロシア時代の1870年に開館し,その後アラビア語やペルシア語などの貴重書が収集され収蔵されてきた。蔵書は75言語,1000万冊と言われていた。中央アジア最大の蔵書を誇る図書館であった。2003年,タシケント中心にあった図書館の中心的な機能は,ウズベク議会上院関係の部屋を作るため,それまであった蔵書は分散された。3月4日,この図書館の建物が取り壊された。蔵書はタシケント市役所や国家安全保障委員会の空いた部屋や倉庫に保管されているという。貴重書は経年変化により劣化の進行が進んでいるようだが,特別の空調設備のない部屋で貴重書を保存しているらしい。これが本当だとすれば悲しい。一度,失われれば,二度と写本などの貴重書は入手不可能である。

経済発展など功利的・実利的優先な考え方では,図書など文化財の保存はなおざりになりやすい。この例も写本など貴重書よりも,政治家のりっぱな部屋のほうが重要なのであろう。

このことを,我々日本人は批判できない。不況になれば,一番先に切られるのが文化・教育予算である。中央アジアの写本など貴重書をウズベキスタンだけの財産と見るのではなく,世界遺産と考えれば,日本もこういった文化財の保存にODAを使ってもいいと思う。日本の国際協力と支援はより評価されるものとなるであろう。

日本のODAはコンサルティング会社がプランを作成して援助を行っている。箱物ばかりで,現地から評価されることが少ない。文化助成は大きな箱物支援よりもずっと少ない支援額ですむであろう。しかし,JICAなどODA支援を担当する部局に文化支援を理解できる人員が少ないので,きめ細かな対応ができないでいる。経済大国の座を中国に譲りつつあるとき,日本は中央アジアではきめ細かな援助をして,友好関係を増進してもいいと思う。

2010年3月 9日 (火)

キルギス南部の反テロ訓練センター設立

米国はキルギス南部にキルギス政府が建設する反テロ訓練センター設立に支援をするという。米国はその費用550万ドル(約5億円)を援助する予定。昨年10月にはトクモック市のチャヤン(サソリ)軍事部隊の整備に900万ドルを供与した。米国は反テロ部隊や反テロ訓練センター設立に費用を出している。これもアフガニスタンのタリバンの収入源になる麻薬密売ルートを遮断するためであろう。アフガニスタンのタリバンがキルギス南部に潜伏しても対応できる準備であろう。米国の反テロ支援は対アフガニスタン作戦の一貫である。

昨年9月,キルギス大統領バキエフとロシア大統領メドベージェフは,キルギス南部にロシア軍基地開設で合意した。しかし,実際には何も進んではいない。ロシアが中央アジアに進出の拠点ができないのは,キルギスかロシアか,どちらの都合によるものなのか,興味深い。そのあたりの事情について知りたいものだ。

2010年3月 8日 (月)

米下院外交委員会,「オスマン帝国のアルメニア人虐殺」決議案

米国下院は,外交委員会で決議された「オスマン帝国のアルメニア人虐殺(ジェノサイド)事件」決議案を下院議案に上げることをしなかった。これは米国にとっても賢明な選択であった。もし,このまま下院が決議案を上程して,たとえ否決されたとしても,米国・トルコ関係は非常に緊張したものになっていただろう。米国にとっても一安心であった。

米国西海岸を中心にいる多数いるアルメニア系米国人たちが支援するアルメニア人のロビーは,米議会でさまざまな問題に関して,盛んなロビー活動をおこなっている。とくに,アルメニア人虐殺(ジェノサイド)事件となると,アルメニア系米国人は連帯団結する。虐殺事件によって,米国在住アルメニア人のアイデンティティーと連帯が強化されるとも言えよう。

他方,アルメニア共和国のアルメニア人にとっては複雑な思いであろう。オスマン帝国のアルメニア人虐殺事件はアルメニア人にとって歴史的にオスマン帝国やトルコ共和国に対する責任追及を止めることはない。しかし,アルメニア人にとって隣国トルコとの関係改善は経済的に疲弊したアルメニアにとっては避けられい状況にある。アルメニア共和国のアルメニア人たちは,恵まれて平和にくらすアルメニア系米国人たちのことを少しシニカルに見ているかもしれない。

2010年3月 7日 (日)

『ウズベク語文法・会話入門』(大阪大学出版会)

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吉村大樹,ジュリボイ・エルタザロフ著,大阪大学世界言語研究センター監修『ウズベク語文法・会話入門』(大阪大学出版会,2009年,2800円)

ウズベク語は,トルコ系諸語のなかでトルコ語に次いで話者がいる。その数はウズベキスタンを中心に中央アジアで2000万を超えている。ウズベク語は中央アジアで重要な言語の一つである。このように重要な言語であるにもかかわらず,独学に向いた適切な入門書がなかった。今回,大阪大学出版会から独習向きのウズベク語文法が出版された。内容的にも要領よくまとまめられ,巻末にはウズベク語・日本語の単語集が掲載され利用しやすい。ウズベク人の協力を得てできあがったいるため内容的にも充実している。

著者の努力に敬意を表したい。ウズベク語を学びたい人はこの文法書を利用することを薦めたい。ウズベク語の音声に慣れるために,CD版が付属されるならば,なお一層いいものとなるであろう。是非とも,会話を録音したCDを作成してもらいたい。

次は是非とも,ウズベク語日本語辞典を出版されてウズベク語学習の環境を整備して頂きたい。

2010年3月 6日 (土)

米下院外交委員会,また「オスマン帝国のアルメニア人虐殺」決議

3月4日,米国下院外交委員会は,「20世紀初頭,オスマン帝国内で発生したアルメニア人殺害事件をジェノサイド(集団虐殺)と認定する」決議を採択した。賛成23,反対22の僅差で採択された。

トルコ政府は,この決議に抗議して駐米トルコ大使の召還を決定した。トルコ政府が取った外交手段は当然であろう。米国下院で「日本の南京虐殺」決議案が採択されたときに,日本政府は毅然とした態度を取らなかった。外交とは時に毅然とした態度を取る必要がある。トルコが取った態度に比べると,日本外交はいつもお粗末であり,卑屈である。

トルコは,アフガニスタンに派兵し,駐イラク米軍にトルコ国内の空軍基地を提供している。オバマ政権はトルコの重要性について認識しているが,米国にはカルフォルニアを中心としてアルメニア系が多く,彼らのロビー活動によって採択を働きかけた。

米国は欧州から歴史を捨てた人々が建国し,いろいろな理由により移住した移民からなる国家である。米国のように世界において,歴史から切り離された国家がひとつぐらいあってもいいと思うが,歴史を政治の道具にすることは米国に跳ね返ってくる。トルコの多くの国民は,左派右派などすべての人々が反米的な感情を抱くことは間違いない。

このような決議は,日本と関係ないと思ってはいけない。米国では西海岸でアジア系住民が増加しており,反日的なロビー活動が勢力を増している。日本はトルコとも連携して,歴史を弄ぶグループとは毅然とすべきであると思う。日本は味方を増やせば,孤立することはない。しかし,その努力はどこでも行われていないのが残念だ。

2010年3月 5日 (金)

シルクロード デジタル アーカイヴズ(東西美術交流研究センター)

杉村棟博士(国立民族学博物館・総合研究大学院大学名誉教授)が東西美術交流センターを立ち上げた。杉村博士はイスラム美術史の専門家で長年中央アジアや中東において研究を続けてきた。杉村博士が撮影した中央アジアなどの写真がデジタル化され,デジタルアーカイブとして公開されることとなった。アーカイブルの個人利用には会員制ととっているから会員となる必要がある。ただし,学生と満62歳以上は年会費無料となっている。

杉村博士は50年前から現地を調査し,膨大な写真や映像を撮影してきた。このデジタル・アーカイブズに残されている記録は現在では見られなくなったものもあり,大変貴重である。写真や資料はデジタル化と整理分類が行われている。今後はデジタル化されたものがインターネットを通じて公開されることを望む。シルクロードに関心あるひとは日本のみならず,世界にも多くいる。

2010年3月 4日 (木)

ウズベキスタンとキルギスの国境閉鎖

2月にウズベキスタンは国境規則を変更した。この規則変更により,キルギス人のウズベキスタン入国が制限されるようになった。キルギス人は3ヶ月に一回に制限されることとなった。この規則の対象としているキルギス人は,キルギス南部に住むウズベク系キルギス人である。キルギス南部にはウズベク系キルギス人が多数生活している。統計がないので10万以上とも,数十万ともいわれている。キルギス国籍のウズベク人たちは,ウズベキスタンのフェルガナ地方に親類が多いと言われている。フェルガナ地方ではウズベク政府による住民の虐殺事件が発生した地域である。カラ・スー国境ポイントをウズベキスタンが閉鎖した。ウズベキスタンのフェルガナ地方とキルギスとの交流に制限を加えたことの背景には,一体ウズベキスタン側にとって都合の悪い何かが最近起きているのであろうか。

2010年3月 2日 (火)

タタールスタンの自動車会社KamAZとインド

タタールスタン共和国は,ロシア連邦内にあるため,日本では知られることが少ない。このタタールスタン共和国にはロシア自動車会社で有名なKamAZがある。KamAZは,トラック自動車を生産している。軍用と民生用トラックを製造している。ここで生産されるトラックは堅牢でシベリアや中央アジアの悪路で活躍している。

この会社がインドのVectra Motorsと合弁で年間5000台のトラックをインド南部で生産を開始するとのことである。インドの道路は悪路が多く,インフラ整備が遅れているので,ロシアの堅牢なトラックはインドの道に向いているかもしれない。しかし,燃費が悪いので,インドの消費者に受け入れられるのだろうか。昔,ガンジー政権時代にソ連と友好親善であった時代とはインドも異なり,いまや自動車の燃費と値段を求める時代とななっている。値段が合格かもしれないが,燃費はどうだろうか。海外の自動車会社のインドでの競争も激しくなっている。タタールスタンの自動車会社とインドの自動車会社の合弁で生産されたトラックがインドで快走する姿を,いつかインドで見たいものだ。

2010年3月 1日 (月)

預言者誕生日とカザンのシャリフ・モスク

2月26日は預言者ムハンマドの誕生日であった。ロシア連邦タタールスタン共和国首都カザンの中心にあるゴル・シャリフ・モスクでは,預言者の誕生日を祝う式典が行われた。トルコのテレビ局がこの式典の様子を撮影し,イスタンブール,スコピエ(マケドニア),キルクーク(イラク),メディナなどに放映した。

タタールスタン共和国は,ロシア連邦内で最大のスンニ派イスラム教徒がいる。多くのイスラム教徒は世俗的で穏健な人々である。カザンは,ロシア連邦内のイスラムの中心都市というような位置づけと見てもいいであろう。

トルコ人はカザンについて専門家以外にほとんど知らないが,このようにトルコのテレビ局が放映すると,同じイスラム教徒でトルコ系民族として,ロシア連邦内のタタール人に対する関心が起きるかもしれない。トルコTV局がムハンマド誕生日の式典をアラブのみならず,ロシア内のカザンを撮影したことから,トルコ人にとってイスラム教徒の連帯も重要ではあるが,トルコ民族の連帯や紐帯のほうが重要であるというようなメッセージを読むことはできないだろうか。

放映されたトルコ以外の地域がカイロ,スコピエ(トルコ名ウシュキュップ),キルクーク,メディナと旧オスマン帝国領内であるのは偶然であろうか。トルコ人が新オスマン(帝国)人の意識を持ち始めているのであろうか。

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