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2010年6月

2010年6月28日 (月)

アタチュルク像除幕式

笹川陽平・日本財団会長のプログに引き続き、和歌山県串本町の設置されたアタチュルク像の設置に関する経緯が書かれている

http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/2501

民間の善意と好意の積み重ねによって、アタチュルク像が串本町に設置されたことはよかった。東京、大阪、名古屋から遠いが、日本・トルコ関係に関心のある人は、アタチュルク像とエルトゥールル殉難記念碑そしてトルコ記念館を見学しに串本町を訪問することをお奨めする。

2010年6月25日 (金)

トルコ・アタチュルク大統領銅像始末記

日本財団の笹川陽平会長が書いたブログで串本町に設置されたアタチュルク像の移転に関する顛末が書かれている。

http://blog.canpan.info/sasakawa

日本・トルコ友好を大切にしている串本町に設置されてよかった。

2010年6月23日 (水)

トルコの東方外交

トルコは軍部や政府が親米国家として、米国から信頼されて、米国の中東・東欧・コーカサスに対する橋頭堡と見なされてきた。しかし、トルコの一般市民には反米感情が強いことが語られることはなかった。中東イスラム諸国からは親米国と見なされて友好国とは思われてこなかった。第1次世界大戦後、アラブは英仏の謀略により反トルコ感情を刷り込まれてきた。トルコの現政権がイスラエルに対して断固たる態度を示し、イランとも接近するスタンスを見せている。アラブ諸国は大国になりつつあるトルコを頼れる国家とみなす感情が醸成されつつある。アラブ人は「強い」ことが好きである。

残念なことに、日本のメディアは欧米のメディアの影響を受けているから、政治・経済大国になりつつあるトルコについて気づいていない。トルコは地域大国になりつつある。トルコが世俗国家ではなくなりつつあることに、危機感を持つ人が多いが、これも世俗国家が正しいという欧米の考え方に毒されている。国際政治の変化でトルコが世界の大国として、その地位を確立しつつある現状を意識して、日本はトルコともって接近すべきだと思う。

2010年6月20日 (日)

トルコ大統領の韓国訪問と原発

トルコのギュル大統領が韓国を公式訪問した。李大統領との会談により、トルコは韓国に原子力発電所建設に優先権を与えたようだ。韓国のトップによる原発ビジネスの売り込みは、UAEに続き成功した。菅首相はオールジャパンによるビジネスの重要性にやっと気づいて、これから原発や新幹線など売り込むつもりだが、出遅れてしまった。ただ、日本は安全性と信頼性をビジネスの武器の一つとして説得材料にすべきだ。

韓国はUAEに原発の売り込みに成功し、日本は失敗した。UAEは地震がない国であるから、原発設計に耐震設計について、あまり重要性を置かなくてもいい。韓国もほとんど地震がないから、耐震設計に関して、日本ほど積算根拠の経験がない。

トルコは黒海沿岸のシノップに原発を建設するようだが、日本と同じような地震国であるトルコは原発建設に耐震設計や耐震強度を重視しているのだろうか。新潟地震で柏崎原発が被害を受けて、発電所の発電を停止した。被害は原子炉本体ではなく、周りの建物や付属施設であった。原子炉本体は厳しい耐震設計により、被害を受けていなかった。国際エネルギー機関の専門家による査察では、あれだけ大きな地震に遭遇しながら、原子炉本体に被害がなかったことに感心と注目していた。トルコは地震国でありながら、耐震設計という視点がさまざまな分野で意識が低い。トルコも原子力発電所建設を始めるなら、耐震設計をもっと重視する意識を高める必要があると思う。日本は地震の経験をトルコに伝えることで、安全性と信頼性をもっとアピールすべきだと思う。

2010年6月19日 (土)

キルギス紛争に黒幕がいるのか?

キルギス南部で起きているウズベク系とキルギス系の衝突と襲撃に発展し、ウズベク系20万がウズベキスタンに避難したと言われる。キルギスタン中央政府の統治能力がないのは確かだが、短期間に事件が大規模に拡大しているのは何らかの勢力か、扇動しているグループがいるのではないだろうか。

バキエフ元大統領グループがやっていると言っているが、彼は出身地キルギス南部を大規模に混乱させたいとは思ってはいない。なぜらなら彼を支持する基盤を失いたくないからである。バキエフ支持グループが始めたのか、あるいは名前を語ったのか分からないが、はじめはそのようなことがあったのかもしれない。しかし、短期間で大量難民が発生するというのは、暴力を行使する勢力が使う武器が相当数あるということだ。

ロシアは歴史的に伝統的に中央アジアに関心があるが、いまのロシアは力に任せて中央アジアを支配しようというような帝国主義的な行動はとらない。ロシアがそうしたいなら、するであろうが、いまのロシアは海外に軍事力行使をしたがあらない。それはロシア軍の質が非常に低下しているから、海外派兵すればアフガニスタン侵攻の失敗の轍をふむことをロシア指導部は理解している。

中国は中央アジアに経済を通じて利権を拡大している。中央アジアの混乱は新疆ウイグル自治区に飛び火するので望まない。

このキルギス南部での事件は、キルギスタンだけではなく、周辺の中央アジア諸国を巻き込みつつあることも確かだ。駐日カザフスタン大使の講演会が、キルギス情勢の急変により、急遽中止となった。どうもこの紛争は中央アジアに飛び火しそうである。

それでは、いったい、どのような勢力がこの混乱に乗じているか、その意図が何であるか、興味あるところだ。

2010年6月14日 (月)

中央アジアは中国経済圏?

中央アジア諸国と中国の経済的な交流が盛んになっている。中国の経済的進出とも言うべきか。1991年のソ連崩壊により中央アジア地域が棚ぼた式で独立を獲得した。しかし、独立を準備していたわけではなく、共産党の幹部がそのまま大統領や首相の政治指導者となった。中央アジアの共産党幹部は同時に部族の有力なリーダーでもあった。そのような政治体制では経済的に発展することは難しかった。カザフスタンだけが石油や天然ガスを輸出して外貨を稼いで中央アジア諸国の中において発展しつつある。トルクメニスタンは天然ガス輸出による収入により、鎖国体制下で限定的ながら発展しつつある。ウズベキスタンは独裁体制、キルギスは政治的な混乱により経済的な発展が困難な状況にある。

2000年ぐらまで中央アジア諸国の経済活動に韓国プレゼンスが大きかった。最近は、韓国よりも中国がはるかに大きなプレゼンを持ちつつある。中国がパイプラインを通じて、石油や天然ガスをカザフスタンやトルクメニスタンから輸入している。中央アジア諸国は中国から外貨を得ている。その外貨が中央アジアの中国製品購買力を高めている。中央アジア諸国では、中国製品がバザール(市場)を席巻しつつある。韓国のサムスンやLGにかわって、ハイアールなどの中国製品が目立っている。また、中国の繊維製品が大量に輸入されている。ただ、中国の繊維製品は、中央アジアの繊維産業をダメにしてしまった。

東南アジア(ベトナム、ラオス、カンボジア)では中国の人民元による現金決済が商売で普通に行われているが、中央アジアでもそのような人民元圏になる可能性がでてきた。中国製品が溢れるようになって、このような貿易に従事するのは漢族であって、新疆ウイグル自治区のウイグル人ではない。中央アジア貿易で中国の漢族が豊かになっても、新疆ウイグル自治区のウイグル人が豊かになってはいない。新疆での暴動事件が起きた原因の一つは、中国少数民族の貧困である。どうも中国の中央アジア貿易では、新疆のウイグル人が豊かになるのは難しいようだ。

2010年6月13日 (日)

キルギス南部の衝突事件

キルギス南部では、ウズベク系とキルギス系の若者が衝突し、約50名の死者が出ている。キルギス政府は南部での統治能力が失われているようだ。バキエフ元大統領を支持する勢力が南部オシュ市を中心に多い。キルギスでの首都ビシュケクと南部オシュ市との南北勢力の対立がひどくなり和解が困難であることを示している。南部ではキルギス系とウズベク系の対立が激しくなっているが、キルギス中央政府からの差別感を感じ、失業者の多いウズベク系の若者の不満も高まっている。紛争の解決は難しくなるばかりである。軍事力による制圧に成功しても、それは一時的なものに過ぎないであろう。

2010年6月10日 (木)

モッタキ・イラン外相とトルコ語

モッタキ・イラン外相は、アゼリー系であろうか、トルコ語を話すことができる。イラン人の高官にはアゼリー系が多い。イラン人の中にアゼリー系の占める割合は想像以上に高いようだ。

モッタキ・イラン外相は駐日イラン大使の経験があるから、片言の日本語(挨拶程度)を話す。欧米流の圧力外交の尻馬に日本は乗るべきではない。イランは日本に対話と仲介を求めてきている。日本は欧米のメディアを信じるのではなく、イランの立場をもっと理解する必要があると思う。

戦前の日本は、日本にも責任があるにせよ、欧米からの圧力により、ABCD包囲陣が形成され孤立し戦争へと突き進んだ歴史がある。このような経験と歴史がある日本こそ、イランが追い詰められた立場を理解できるはずなのだが…。

2010年6月 9日 (水)

トルコのガザ支援船襲撃事件とマレーシア

トルコのガザ支援船がイスラエル軍コマンドによって、国際法(公海自由航行の原則)を違反して急襲され、トルコ人が死亡した。トルコではこの事件によりイスラエル非難の声が大きくなっている。イスラエルがトルコ支援船を急襲したことには正当性も合法性もない。このようなことを続ければ、反ユダヤ主義が高まることになり、ユダヤ人に災禍が降りかかることを、ユダヤ人たちあ一番よく知っているはずだ。しかし、敢えて、ユダヤ人が行う蛮行に正当性はない。これでは、負の連鎖が未来に対して続いていくこととなろう。

トルコ支援船には、マレーシア人(6名)も同乗していた。彼らは6月6日にマレーシアに帰国した。7日付けNew Straits Timesで写真入りで1面の記事となっていた。マレーシアでは、ヒーローの扱いであった。写真を見ると、6人はトルコの国旗が見えるたすきをかけていた。マレーシア人がイスラム教徒としてトルコと連帯を示していた。いままで、マレーシアとトルコは遠いイスラムの国どうしでったが、両国のイスラム教徒が接近する時代が来るかもしれない。

2010年6月 5日 (土)

アタチュルク像の設置と除幕式

Ataturk_26月3日、和歌山県串本町大島にアタチュルク像が設置された。アタチュルク像は日本・トルコ友好シンボルとなった。

同日午前中はエルトゥールル号殉難将兵を慰霊する海上慰霊祭が護衛艦「さざなみ」艦上で行われた。三笠宮寛仁親王殿下が鎮魂のため菊花を海に投下された。オスマン・パシャの曾孫も花を投じて先祖の鎮魂をされていた。式典では海上自衛隊員が弔銃を発射した。参加者による菊花の海上投下の間、「海ゆかば」の音楽が流れていた。

午後からアタチュルク像の序幕式が行われた。三笠宮殿下の御台臨のもと行われた。トルコ大使や関係者の挨拶があった。日本財団の笹川陽平会長がアタチュルク像を柏崎から東京経由、串本町まで運搬した経緯を語られていた。

日本財団がアタチュルク像問題解決のため、運搬費、修繕費、設置費を負担した。そのようなことはアタチュルク像の前に設置された説明文には全くない。日本財団が尽力しなければ、新潟柏崎で倒れたままに像が保存され、日本・トルコ友好に傷がついたであろう。日本財団が日本・トルコ友好に尽力したことを記憶してもいいであろう。

アタチュルク像は、日本・トルコ友好のシンボルになるにふさわしい場所に設置された。串本町のトルコ記念館内でアタチュルク像を塑像したトルコ人芸術家と雑談したが、彼も大変満足していた。

串本町民による日本・トルコ友好は、柏崎市とは違い本物であった。

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