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2010年9月

2010年9月25日 (土)

中央アジアとレアアース(希土類)

尖閣事件での中国の恫喝外交を見ていると、日本に対して戦略的な圧力を加えてきたことが分かる。中国の戦略的な恫喝外交に対して、日本の外交はなすすべがなかった。ゼネコン社員の逮捕も別件逮捕による人質に取られた形だ。民主主義のない、共産党独裁の中国は、平気で罪をでっち上げ逮捕する。日本は中国のマーケット幻想をもうやめて、リスクを減らす時代がきているようだ。

中国のレアアース(希土類)の産出地は、チベットと内蒙古である。中国の少数民族のチベット人もモンゴル人は、レアアースによって豊かになることなく、一方的に搾取されている。レアアースによる資金は、中国人が豊かになるのではなく、共産党と軍隊だけを焼け太りさせている。日本の企業は、目先の利益しかないが、ますますやばい状況となっていくのかもしれない。歴史から学ぶなら、戦前の国民党は日貨排斥で日本製品に致命的な打撃を与えたが、同じようなことが日本製品のボイコットとして共産党が行うかもしれない。そのとき、我々は泣き寝入りするしかないのだろうか。

企業が欲しがっている、レアアースは中央アジアのウズベキスタンやカザフスタンの鉱床にも眠っているらしく、中国は中央アジアに食指を伸ばしつつあるという。中国の資源収奪外交は、アフリカで経験済みである。日本ももっと中央アジアとの関係を深めていく必要があると思えるが、日本政府の動きはいつものように後手に回っている。日本人にダイナミズムが失われているが、ダイナミズムを復活させるにはどうしたらいいのだろうか。

2010年9月24日 (金)

イラン人の反中・嫌中感情

テヘランでも中国人の数が目立って多くなっている。安価な中国製の繊維製品などが大量にイランに流入している。このためイランでは繊維業などで失業者が増えている。イランでは、若年者の失業者がもともと多いところに、中国製品の流入により、失業した人々など普通のイラン市民の間で反中感情が高まっている。イランと中国は、政府間で良好な関係に見えても、イラン市民の対中感情は違っている。

イラン人たちは、経済制裁に加わっている日本がイランに冷たいことに対して、残念に思っているとともに苛立っている。もともと、イラン人には親日感情を多くもつ人が多かった。米国への追随が日本人の味方を減らしていることにも気づく必要がある。

2010年9月21日 (火)

テヘランと中国人民元

イランは経済制裁下にあるが、テヘランの市街地は活気に満ちていた。ホテルに多くの中国人ビジネスマンを見かけた。米国抜きでもイランは中国との経済関係を深めている。

あるホテルの地下にあった両替商は、その主人はアゼリー人であった。ドル、ユーロはイラン現地通貨に両替できたが、日本円は両替できなかった。まあ、日本円が両替できなかったことには驚かされなかったが、中国人民元が両替商で両替できると聞いて、ちょっと驚いてしまった。イランと中国がそこまで接近しているとは思わなかった。

イランと中国は、ドルやユーロを経由しなくても、イランでの貿易決済に中国人民元で現金決済できる抜け道を作っているようだ。米国による経済制裁は、イランを締め付ければつけるほど、中国のプレゼンスがイランで大きくなることに協力しているようだ。

ただ、中国製品が安価でイランに流入して中小の企業がつぶれている。このことから、イランの庶民の間では、反中感情が起きつつあるようだ。

かつて日本はイランにおいて、大きな経済的なプレゼンスがあったが、いまでは過去のこととなってしまった。米国寄りのスタンスは日本にとって必要かもしれないが、日本はもっと独自の道を模索しないと、世界中でマーケットを失っていくだけだ。

2010年9月15日 (水)

幻の服部四郎論文集 第5巻

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故服部四郎教授の謦咳に接したことが随分前にあったが、今まであった学者たちの中で本当の碩学であった。学問が細分化され、学問を俯瞰することができなくなった時代であるから、さまざまな学問分野から碩学がでることはない。

故服部四郎教授のアルタイ諸語の研究論文集は非常にレベルが高いが、透徹した考察により明確さが現れている。三省堂から出版された論文集(4巻既刊、第5巻未完)が絶版になって久しい。このため、優れた書籍でありながら、図書館での利用は可能であるが、購入して熟読することは難しくなっている。

Hattori2 この論文集は、第5巻として「アルタイ諸語の資料集」が出版される予定であったが、著者の急逝により日の目をみることはなかった。日本のアルタイ諸語研究に裨益するところ、多大と思われるが、このような良質の研究書が出版されることがなかったことは残念だ。著者のご遺族のもとに、原稿が残されているとのことだが、いつの日にか出版されることを期待してやまない。幻のままに終わっては欲しくないと思う人はきっと多いと思う。

2010年9月14日 (火)

回教研究所 『初等トルコ語読本』

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『初等トルコ語読本』(回教研究所発行、昭和15年)

昭和8年10月、大久保幸次らが中心となって「イスラム学会」が設立され、トルコ語講習会が開催された。トルコ語学者の大久保幸次は、「回教圏研究所」を設立し、雑誌『回教圏』などを出版し、回教圏(イスラム世界)を研究した。

この回教圏研究所がトルコ語学習者用に『初等トルコ語読本』を出版した。現在、多くの日本人観光客がトルコを旅行し、トルコがブームとなっている。トルコの社会や文化に対する関心が高まり、トルコ語学習者が増えている。東京外国語大学と大阪大学(旧大阪外国語大学)にはトルコ語学科があり、その他の大学にもトルコ語講座が開かれている。

トルコ訪問がトルコ語学習への契機をなっている現代と比べると、トルコに関する情報が少なかった昭和戦前期に、このような書籍が出版されたことは驚きである。この本の出版の前には、内藤智秀が編んだ『土日・日土大辞典』が日本初のトルコ語辞典、『土耳古語会話』が出版された。トルコ語文法だけが出版されなかった。。トルコ語学習の環境が整えられつつあった。

しかし、残念ながらトルコ・ブームは長くは続かなかった。この後に勃発する「大東亜戦争」そして敗戦によって、トルコへの関心はごく少数の研究者を除き消滅した。イスラムやトルコに対する関心が再び高まるには長い時間がかかった。

この本も忘れられたトルコ関係の書籍である。

2010年9月13日 (月)

昭和15年、アンカラの日本大使館

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『世界画報』(国際情報社、昭和15年、第60巻第3号)の中に、日本大使館からアンカラ市内を望む写真が掲載されている。日章旗が掲揚されている建物が日本帝国大使館。当時の首都アンカラには、まだ建物が少ないことがわかる。

2010年9月12日 (日)

小林高四郎『イスタンブールの夜』

Istanbulnoyoru 小林高四郎著『イスタンブールの夜 外交余憤録』(一洋社、昭和23年)

故小林高四郎は、元朝秘史研究などモンゴル史の研究家として知られている。戦前、外務省に調査官として入省し、満蒙の調査を行っていた。

第2次世界大戦中、トルコ大使館に赴任することとなった。シベリア鉄道、中央アジア、カスピ海横断、コーカサス経由の陸路でトルコに入国する様子が記録されている。戦前、中央アジアやコーカサスを経由してトルコに入国した数少ない日本人の一人。

トルコ大使館勤務中、トルコが日本に宣戦布告し、大使、公使、陸海軍武官など日本人外交官が大使館に抑留されることとなった。狭い空間に閉じ込められた外交官たちの疑心暗鬼の様子が書かれ、某C公使夫妻のピストル自殺も描写されている。この公使の遺骸は、戦後ご子息(駐英大使)によって、日本に改葬されている。小林は外交官とは言え、戦前の大使館での序列では低く、相当にいやな目にあったことが推察できる。

本人は、サブタイトルで「外交余憤録」としていることから、相当に頭にきたのであろう。しかし、小林はこの本を若気の至りの書物として、古本屋の店頭でみつけると、回収していたという噂がある。小林は愛書家で神保町など古本屋をよく回っていた。そのせいか、この本を古本屋で見つけるのは難しい。この本は、大使館の内部事情以外に、トルコ人学者との交流、アンカラでの生活など戦前のトルコの様子を教えてくれる、数少ない本の一つである。

2010年9月 7日 (火)

中東のブラッド・ピット

いま、ウズベキスタンやタジキスタンなどの中央アジアでトルコのテレビ番組「ギュムシュ(銀)」が視聴率を稼ぎ、トルコ人俳優Kivanc Tatlitugが「中東のブラッド・ピット」と呼ばれて人気を博している。ウズベキスタンのYoshlar(若者)テレビチャンネルでは、週5回放映され、ウズベキスタン女性の人気が高まっている。

トルコとウズベキスタン両政府間の関係は、さほど緊密ではないが、民間交流は比較的盛んである。トルコはテレビ番組を通じて、中央アジアの女性の人気を獲得している。次は中央アジアにテレビの韓流ブームが起きるのであろうか。日本のテレビ局は内向きで日本の番組を海外に売ろうという意識がないから、中央アジアやトルコでテレビでの日本人俳優、女優のブームが起きることはないであろう。

2010年9月 3日 (金)

日本・トルコ友好   エルトゥールル号慰霊式典

トルコの地中海に面したメルシンでエルトゥールル号犠牲者慰霊祭が行われた。共同通信の報道によると、次のような記事であった。

1890年に和歌山県串本町沖で遭難したオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号の犠牲者慰霊式典が2日、トルコ南部メルシンで行われ、同県の仁坂吉伸知事や田嶋勝正串本町長らが出席した。式典には同県などの一般市民約180人なども訪れ、地元市民と交流を深めた。

同艦は明治天皇に勲章などを献上し帰国途中に台風のため座礁し沈没。乗組員587人が死亡したが、地元住民の献身的活動で69人が救助され、日本とトルコの友好関係の原点とされる。串本町メルシンは姉妹都市。

両国国旗がはためく中、地中海を望む公園の慰霊碑前で行われた式典で仁坂知事は「両国のきずなを次世代に受け継いでいくことを約束する」と強調。ギュナイ文化観光相は「式典のためはるばる日本から訪れた皆さんに感謝する」と述べた。(共同)

オスマン帝国海軍軍艦の沈没は、トルコにとって不幸な出来事であった。この事件は、日本・トルコ間交流において、特に和歌山県串本町で草の根の友好活動を非常に長い年月続けている。このような息の長い日本・トルコ間の友好活動は他にはない。今後も地道な日本・トルコ友好は続くに違いない。このような息の長い、地道な活動が本当の友好活動なのであろう。

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