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書籍・雑誌

2012年5月27日 (日)

鈴木住子『チャードルの女』

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鈴木住子著『チャードルの女』(日本週報社 昭和34年9月初版、10月2版)

昔から、この本については知っていたが、最近古本で入手した。前嶋信次先生が紹介を書くなど意外に話題となった本である。ウイグル人によってウイグル語に翻訳されている。読んでみると面白かったので一日で通読してしまった。

著者は、本人は自覚していたと思うが、日本の対回教徒工作に身を挺してウイグル人を結婚し三人の子供をなした。戦時中は南京、上海、北京にウイグル人などのイスラム教徒コミュニティーにくらしていた。日本の敗戦後、夫に従い子供を連れて大陸奥地まで入っている。

東トルキスタン共和国のことも書かれており、歴史史料としては裏付けはないが、読み物として面白い。彼女は夫とも離婚し、子供とくらすこととなった。日本のスパイとして国民党に逮捕され、子供たちと生き別れとなる。国民党と共産党に敵対したとして獄中に7年間つながれた。共産党の獄中では、思想改造のため日々告白させられている。後に釈放されて帰国している。大陸での15年間は波瀾万丈である。このような生々しい経験をした日本人女性は希有であろう。

大陸で多くの辛酸を経験しているのか、性的なことも含めて結構赤裸々に書いている。大陸に渡る年齢が20代前でイスラムや歴史に関する知識がなかったせいか、タタール人イマーム(導師)をタタール王とするなど事実誤認も散見された。

初版が出版されて1ヶ月で重版されていることから、昭和34年当時結構読まれていたのかもしれない。いまでは新疆や戦前期の対回教政策に関心がある人だけが読むような、忘れられた書籍となっている。

2010年11月28日 (日)

THE CRESCENT and THE SUN, Three Japanese in Istanbul

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HİLAL ve GÜNEŞ İstanbul'da Üç Japon

THE CRESCENT and THE SUN Three Japanese in İstanbul

Yamada Torajiro, İto Chuta, Otani Kozui

İstanbul Araştırma Enstitütü, October 2010.

今年2010年は「トルコにおける日本年」である。トルコではさまざまな展覧会や催し物などが行われた。展示会や行事はその時は人々の記憶に残るであろうが、時間が経過すれば忘れられていくであろう。そのような人々の記憶の一過性とは異なり、日本・トルコの交流に関する、多くの写真を含む398頁の大部の書籍が出版された。トルコと関わった、山田寅二郎、伊東忠太、大谷光瑞の3人の事績が取り上げられている。山田については日本・トルコ交流史で取り上げられることが多いが、この本の出色は、建築家の伊東と元西本願寺法主大谷光瑞について多くのページが割かれていることである。大谷光瑞が門下生をブルサに派遣し、日土紡績工場を合弁で経営していたことも書かれている。トルコ語が分からない人にも読めるように、英語も書かれている、トルコ語・英語の併記となっている。

日本・トルコの交流の歴史を知るのに役立つ書籍である。従来、この分野は日本人研究者が注目してきた分野であった。近年、トルコにおいて日本語をよく理解する若手研究者が増えつつある。トルコ側で日本で知られていない史料を発掘している。トルコの日本研究者の活躍により、日本・トルコの交流史の研究がより一層深まりつつある。

この書籍は、日本・トルコの交流史を知るのに役立つ良書である。

2010年11月16日 (火)

東京回教礼拝堂 『建築雑誌』(第52集、第642号)

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『建築雑誌』(第52集、第642号、昭和13年9月)の中に、「東京回教礼拝堂」が竣功建築物として紹介されている。

代々木上原に現在ある東京ジャーミーは、トルコ宗務庁によって設計された。トルコでよく見かける建築様式である。

このモスクが建設される前、昭和13(1938)年に竣功した「東京回教礼拝堂」があった。このモスクに関する写真は、早稲田大学所蔵の大日本回教協会資料に残されている。設計図などその他の資料は残されていないようだ。

『建築雑誌』にはモスクの写真のみならず、設計図の写しの一部が掲載されている。これは東京モスクを知る上で貴重な情報を提供してくれるが、この設計図がどこかに残されていれば、日本のイスラム建築史にとって貴重な史料となるのだが…。

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2010年10月17日 (日)

『外国における国語の問題ードイツ・トルコ・中国ー』

Kokugoseries47_2 高橋健二・柴田武・村尾力『外国における国語の問題ードイツ・トルコ・中国ー』(国語シリーズ47,文部省、昭和35年)の中で、柴田武が「トルコの文字改革」(36-67頁)を執筆している。

故柴田武は社会言語学者、言語方言学者として、日本語の研究に大きな足跡を残している。彼の言語研究は、トルコ語研究から始まっている。戦時中は内モンゴルのトルコ系言語であるサラール語の研究について発表している。戦後は日本語の研究に関する数多くの発表をしているの比べると、トルコ語に関する論文や論考は少ない。トルコ語が1928年にアラビア語からラテン文字に移行したことを分かりやすくまとめている。この論考が「国語シリーズ」の中におさめられていることから、残念ながらあまり知られていない。

1980年代にトルコを訪問したこと頃、まだアラビア文字によるオスマン・トルコ語教育を受けた世代がいた。メモをアラビア文字で筆記する老教授を見たことがあった。ラテン文字がトルコ語を表記するのに適していても、幼少期に受けた教育が与える影響の大きさを垣間見ることができた。2010年の今では、そのような人もいなくなり、ケマル・アタテュルクが推進したトルコ語の文字革命は完全に成功したものとなっている。

2010年9月15日 (水)

幻の服部四郎論文集 第5巻

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故服部四郎教授の謦咳に接したことが随分前にあったが、今まであった学者たちの中で本当の碩学であった。学問が細分化され、学問を俯瞰することができなくなった時代であるから、さまざまな学問分野から碩学がでることはない。

故服部四郎教授のアルタイ諸語の研究論文集は非常にレベルが高いが、透徹した考察により明確さが現れている。三省堂から出版された論文集(4巻既刊、第5巻未完)が絶版になって久しい。このため、優れた書籍でありながら、図書館での利用は可能であるが、購入して熟読することは難しくなっている。

Hattori2 この論文集は、第5巻として「アルタイ諸語の資料集」が出版される予定であったが、著者の急逝により日の目をみることはなかった。日本のアルタイ諸語研究に裨益するところ、多大と思われるが、このような良質の研究書が出版されることがなかったことは残念だ。著者のご遺族のもとに、原稿が残されているとのことだが、いつの日にか出版されることを期待してやまない。幻のままに終わっては欲しくないと思う人はきっと多いと思う。

2010年9月14日 (火)

回教研究所 『初等トルコ語読本』

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『初等トルコ語読本』(回教研究所発行、昭和15年)

昭和8年10月、大久保幸次らが中心となって「イスラム学会」が設立され、トルコ語講習会が開催された。トルコ語学者の大久保幸次は、「回教圏研究所」を設立し、雑誌『回教圏』などを出版し、回教圏(イスラム世界)を研究した。

この回教圏研究所がトルコ語学習者用に『初等トルコ語読本』を出版した。現在、多くの日本人観光客がトルコを旅行し、トルコがブームとなっている。トルコの社会や文化に対する関心が高まり、トルコ語学習者が増えている。東京外国語大学と大阪大学(旧大阪外国語大学)にはトルコ語学科があり、その他の大学にもトルコ語講座が開かれている。

トルコ訪問がトルコ語学習への契機をなっている現代と比べると、トルコに関する情報が少なかった昭和戦前期に、このような書籍が出版されたことは驚きである。この本の出版の前には、内藤智秀が編んだ『土日・日土大辞典』が日本初のトルコ語辞典、『土耳古語会話』が出版された。トルコ語文法だけが出版されなかった。。トルコ語学習の環境が整えられつつあった。

しかし、残念ながらトルコ・ブームは長くは続かなかった。この後に勃発する「大東亜戦争」そして敗戦によって、トルコへの関心はごく少数の研究者を除き消滅した。イスラムやトルコに対する関心が再び高まるには長い時間がかかった。

この本も忘れられたトルコ関係の書籍である。

2010年9月12日 (日)

小林高四郎『イスタンブールの夜』

Istanbulnoyoru 小林高四郎著『イスタンブールの夜 外交余憤録』(一洋社、昭和23年)

故小林高四郎は、元朝秘史研究などモンゴル史の研究家として知られている。戦前、外務省に調査官として入省し、満蒙の調査を行っていた。

第2次世界大戦中、トルコ大使館に赴任することとなった。シベリア鉄道、中央アジア、カスピ海横断、コーカサス経由の陸路でトルコに入国する様子が記録されている。戦前、中央アジアやコーカサスを経由してトルコに入国した数少ない日本人の一人。

トルコ大使館勤務中、トルコが日本に宣戦布告し、大使、公使、陸海軍武官など日本人外交官が大使館に抑留されることとなった。狭い空間に閉じ込められた外交官たちの疑心暗鬼の様子が書かれ、某C公使夫妻のピストル自殺も描写されている。この公使の遺骸は、戦後ご子息(駐英大使)によって、日本に改葬されている。小林は外交官とは言え、戦前の大使館での序列では低く、相当にいやな目にあったことが推察できる。

本人は、サブタイトルで「外交余憤録」としていることから、相当に頭にきたのであろう。しかし、小林はこの本を若気の至りの書物として、古本屋の店頭でみつけると、回収していたという噂がある。小林は愛書家で神保町など古本屋をよく回っていた。そのせいか、この本を古本屋で見つけるのは難しい。この本は、大使館の内部事情以外に、トルコ人学者との交流、アンカラでの生活など戦前のトルコの様子を教えてくれる、数少ない本の一つである。

2010年5月16日 (日)

TATARISCH

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Margarete I. Ersen-Rasch, TATARISCH, Lehrbuch für Anfänger und Fortgeschrittene, Harrassowitz Verlag, 2009.

日本でトルコ語以外のトルコ系言語(ウズベク語、ウイグル語、カザフ語など)を学習しようとすると、文法書、辞書などが揃っていなく難しい状況にある。カザフ語は日本語で、いい文法書も辞書もなく、会話帳だけである。中央アジアの人々と交流するのに現地の言語を学ぶことは大切だと思う。ソ連時代、中央アジアの人々はロシア語が共通語であったが、いまではロシア語が話せないウズベク人の若者が多くいる。英語で会話すればコミュニケーションに問題のない若者たちがおおくいる。それ以外の世代とはロシア語か現地語になる。ロシア語は重要だと思うが、現地の言語を知ることは相互理解を深めることで大切なことと思う。

ところで、ロシア連邦にも多くのトルコ系少数民族がいる。その中でタタール人が有力だと思う。ロシアのトルコ系民族となると、日本語で書かれた文法書も辞書もない。日本では知られてはいないが、タタール語による出版活動は盛んである。しかし、タタール語の書籍ははほとんど輸入されていないので知られることはない。

ドイツは歴史的にロシアへの関心が強く、とくに言語研究が盛んである。去年、ドイツ語で初級・中級用のタタール語文法がCDつきで出版された。ドイツ語が読める人は少ないと思うが、参考までにあげておく。Nicholas Poppe, Tatar Manualと比べると分かりやすい。ポッペはアルタイ諸語研究では碩学であり、タタール語の記述文法として優れているが、分かりやすい文法ではなかった。それに比べると、この文法書分かりやすい。

2010年4月25日 (日)

A Jewish Girl in Shanghai 『猶太女孩在上海』

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Wu Lin, A Jewish Girl in Shanghai 呉林『猶太女孩在上海』華東師範大学、2008年4月、定価150元

上海ユダヤ難民記念館入口の入場券売場でユダヤ難民の書籍が数冊販売されていた。その中の1冊を購入した。カラーの漫画に英語のセリフの外国人向けの書籍。内容は上海に避難したユダヤ人少女の物語。いつもの中国の本のように、悪い日本軍人が登場し、日本軍国主義にユダヤ少女が反抗する。著者のサイン入りであった。

ユダヤ難民たちは、虹口の日本人が多く居留する地域に生活し、日本人とはうまく生活していた。日本人も欧州から渡来した彼らのカフェやレストランを本格的なヨーロッパの味で安価なので利用していた。ユダヤ人と日本人の庶民が共存していた。しかし、中国共産党の歴史観に基づくと、上海のユダヤ人と日本人の共存は無視されている。まあ、この本が中国で出版されているから仕方がない。しかし、これが正しい出来事として、この本を購入した外国人たちが思ってしまうのだろう。日本の漫画家には、《虹色のトロツキー》を描いた漫画家もいるので、戦前のユダヤ問題に関心あるから、もう少しまともな漫画を描いてもらいたいものだ。

前にも書いたが、上海ユダヤ難民記念館の展示は日本に対して悪意のないのは、記念館の説明を準備したのが、この問題につきよく研究した中国人研究者が参加したからであろう。

2010年4月 8日 (木)

満鉄東亜経済調査局『新亜細亜』のユダヤの動向

満鉄東亜経済調査局発行の雑誌『新亜細亜』には,「アジアの展望」というコラムがある。『新亜細亜』(昭和15年2号)の「アジアの展望」では,猶太(ユダヤ)の動向が掲載されている。その中で「トルコ猶太人に差別待遇」とトルコのユダヤ人の動向について簡単な消息を書いている。

「猶太系トルコ人は,直接戦闘の兵役から除外されると云う最近の政府決議を已むを得ず承認せしめられた。これで数年前の形勢に還ったわけである。将来に在ても猶太人は武装訓練される事なく単に,伝令又は従卒としてトルコ将校の命に従う事となるのである。彼等は若し特別軍事課税を納付すれば,18ヶ月の代りに僅か6ヶ月の軍隊生活を勤めればよいと云う選択を与えられることになっている

 ブルサに在っては,猶太人は公会,市街に於いては一切トルコ語を使用すべき強制的命令を受けている。そして此の命令を無視する者は市街から退去せしめられるのである。今回の制度も所謂「トルコ人のトルコ」政策の一部を為すものであり,別に排ユダヤ的意味の有るものではないと称へられている…」

昭和15(1940)年の雑誌にユダヤ人の動向,それもトルコのユダヤ人の動向が掲載されていることは興味深い。このようなことまで調べているので,満鉄東亜経済調査局の研究調査の能力が高かった。現代トルコについて継続的に詳細に調査している,公的な機関はない。

外務省も経済産業省も中東やトルコに関して,委託調査させるだけで,現地データを蓄積し,それに基づく調査研究は行われていない。アジア経済研究所が現地の調査研究を担っていたが,行政改革の美名のもとに研究調査の部門が縮小されている。残念なことである。満鉄調査局のように,潤沢な資金と人員がないと,やはり総合的な調査研究は無理であろう。このような調査研究やデータの蓄積があって,戦略を立案できる。残念ながら,必要なところに税金が投入されず,ばらまきでは日本の知的水準はますます低下していくのであろう。