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経済・政治・国際

2012年5月28日 (月)

5月28日、アゼルバイジャン共和国独立記念日

Azjpn

5月28日は、アゼルバイジャン共和国の独立記念日。

1991年のソ連解体により、アゼルバイジャン共和国が独立した。ソ連解体の過程でアゼルバイジャンは、1989年10月5日、共和国主権宣言。1991年2月5日、「アゼルバイジャン共和国」に国名変更。1991年8月30日、共和国独立宣言。この過程では、5月28日は出てこない。

1918年5月28日、ロシア革命後にガンジャにおいて、「アゼルバイジャン民主共和国」として独立宣言をおこなった。この共和国は赤軍のバクー進駐により崩壊するまでの23か月間の短命な共和国であった。当時のイスラム世界における独立国の政体は、王国など君主制であった。アゼルバイジャン民主共和国は、イスラム世界最初の共和国であった。イスラム教徒が主体となって樹立した共和国であったが、世俗化、信教の自由を定めた世俗憲法を持ち、複数政党制による議会政治を行っていた。現在から見ても先進的ではあったが、赤軍進駐により独立を維持することができなかった。

現在のアゼルバイジャン共和国は、アゼルバイジャンでの最初の独立を独立記念日としている。民主共和国では民族政党ミュサヴァト党が政権運営をおこなっていた。ミュサヴァト党は、アゼルバイジャン共和国ではイーサ・ガンベル党首率いる野党。他方、イルハン・アリエフ大統領は故ゲイダル・アリエフ大統領(元ソ連共産党政治局員)の長男。現政権はソ連共産党幹部の息子がなっている。5月28日を独立記念日として祝っているが、アゼルバイジャンではその歴史をあまり触れいない理由は、ミュサヴァト党が野党であるからこともあるのであろう。

2011年3月24日 (木)

トルコ:日本の大震災とトルコの原発建設計画(現地報道)

3月16日付トルコ各紙は、東北地方太平洋沖地震(東北関東大震災、東日本大震災)およびトルコの原発建設計画に関して報じている。

1. エルドアン首相の発言概要(訪露前に行った記者会見)

(1)巨大地震による日本での原発被害を理由に、トルコが原発建設計画を停止することはないだろう。

(2)リスクを伴わない投資など存在しない。もしリスクの全くない投資を望むのであれば、石油パイプラインは建設すべきではないし、台所でのガスの使用も止めるべきだ。

2. ユルドゥズ・エネルギー大臣の発言概要

(1)我々は日本の事故を看過はしない。この事故から得られる教訓や注意点は十分議論すべきだ。

(2)現在の原発の安全対策は、40年前に建設された原発と比較して確実に変化している。トルコが建設を予定しているのは第3世代の原発である。我々の原発建設の決意に変更はなく、日本の関係者との協議も継続している。

3. トルコは2010年5月、ロシアのロスアトム(Rosatom)社との間でトルコ初の原発(原子炉4基)建設の契約に署名した。約200億ドルと見られる事業の許認可手続きは既に開始されている。トルコはスィノプでの原発建設についても、地震発生前から日本企業と交渉を続けていた。

4. ハジェッテペ大学原子工学部のカディルオウル前学部長(原子力専門家)の発言概要

(1)メルスィン県アックユにおける原発建設のためにロシアが提案している技術は未だテストされたことがない。1986年のチェルノブイリ原発事故を思い出して欲しい。トルコは全く信頼性に欠ける国から原子力技術を購入しようとしている。

(2)我々はトルコの原発でいかなる技術が使用されるのか承知していない。

2011年2月20日 (日)

トルコは中東でますます重要な国になる!

チュニジアで始まった民主化要求の動きは、エジプトそして湾岸諸国に拡大している。これらの国は、民主主義国家とは名ばかりで独裁国家、強権政治体制、一党独裁であり、民主国家と言えない。

トルコが1923年にトルコ共和国として独立したが、共和人民党(CHP)が一党体制で続いていたのが、1950年代に多政党体制に移行した。しかし、政治が安定せず、1960、1970年そして80年代に軍の介入が政治的な安定をもたらした。軍人は経済的な安定をもたらすことができなかった。故オザル首相(のち大統領)がトルコ経済を外資にも開放することで活性化した。2002年、公正発展党(AKP)が政権をとると、欧米はイスラム原理主義がトルコに広がるとして警戒した。エルドアン首相の指導力のもとにトルコは中東で安定して民主国家、そして経済的に発展した国になりつつある。地域大国になりつつある。

エジプトでは、軍人主導による民主化移行が始まるが、この行方は分からないが、トルコの動きと比べると、数十年前の動きである。アラブが政治的・経済的に安定した民主国家になるまで相当に時間がかかるであろう。

中東イスラム諸国において、安定した民主国家であるトルコの政治的・経済的な役割がますます大きくなるであろう。このような情勢にあって、日本はトルコとの関係をもっと戦略的な関係にまで拡大する時期にきている。しかし、外務省など日本政府には、そのような意識がないことは残念だ。

2011年1月21日 (金)

1990年1月20日 バクーでの虐殺

ゴルバチョフは,ゴルビーとの愛称で呼ばれ,ソ連時代にペレストロイカなど改革を推進ことで日本では彼の人気がまだ残っているようで,日本のテレビ番組では高いギャラを支払って,彼を使うことがある。ロシアでは人気のない人物となって,時代遅れの人物だ。ゴルバチョフに高いギャラを支払うのは日本のマスコミぐらだ。だから,彼も喜んで日本の番組に出演する。日本のメディアは海外からいつもバカにされている。

ソ連末期でゴルバチョフは国家元首でありながら求心力を失っていたとしても,彼の時代に起きたバクーでの事件は,歴史の一コマであるかもしれないが,ソ連の非情さとして記憶されであろう。

1990年1月20日のバクー起きた虐殺事件は,アゼルバイジャンでは「1月20日の悲劇」として,市民に追悼されている。バクーで改革を求める,子供も含む一般市民の集会の中に,ソ連軍戦車部隊が突入し,150名もの市民が戦車に轢かれ,銃弾で斃れた。この事件のあと,アゼルバイジャン人共産党員たちはソ連共産党から脱党した。アゼルバイジャン人たちの民族意識を覚醒させ独立への動きが加速した。中央アジアには,そのような動くはほとんどなかったことに比べると,アゼルバイジャンには独立運動は起きていた。

ゴルバチョフは直接命令しているかは不明であるが,彼の時代に虐殺が行われている。日本のマスコミは彼の時代に起きた虐殺という悲劇を,多分全く知らないのであろう。ゴルバチョフは彼以前の共産党員と同じ思考レベルであると思う。悲劇の張本人を使う日本のメディアはおめでたい。

ソ連が戦車で市民を轢き殺す,中国天安門事件でも同じことが起きている。共産主義は人民の命よりも体制維持が大切なのだ。

1月20日は共産主義がいかに人命を軽視しているかを証明した,悲劇の記念日でもある。

2011年1月18日 (火)

トルコの原子力発電と日本企業

以前、韓国が大統領の売り込みもあり、官民一体の原発売込みで攻勢をかけて、トルコの原発プロジェクトを受注に成功し、日本企業が駄目だったと書いた。日本企業の巻き返しもあるが、トルコ政府が地震の多いトルコでは日本の原子力発電が耐震設計に優れているということに気づいた。トルコは日本と同じように地震が各地で起きている。地震の少ない韓国では、韓国の原子力発電事業は、日本に比べると耐震設計の係数や経験で劣っていると言われる。トルコ政府は原子力開発に関して、韓国から日本に舵を切ったようだ。トルコでの原子力の売り込みは、東芝が有利になりつつある。

ここにきて、日本政府もインフラ輸出に力を入れ、民間企業の活動を支援している。日本も官民一体の雰囲気ができつつある。この流れをもっと積極的に続けてもらいたい。民主党は評判が悪いが、インフラ輸出を後押ししている点では自民党よりも評価できるであろう。民主党のインフラ輸出を推進している議員の多くは、トルコを含む中東との関係増進に関与している。

2010年12月26日 (日)

バクーの第225中学校と日本語

アゼルバイジャンの首都バクーにある、Telman Abbasov記念第225中学校では、中学生30名が日本語を学んでいる。先生はアゼルバイジャン人の女性。彼女のご主人が研究者で大阪府立大学で11年間研究生活をおくったとのことである。11年の日本滞在から日本語が非常に堪能であった。日本のよさをアゼルバイジャン人の子供たちに伝えたいことから、日本語を中学生に教えている。彼女の熱意により、アゼルバイジャンの中学生たちは日本への関心が高まっている。数は少なくとも、アゼルバイジャンの中学生たちが、知日派、親日派に育っていくだろう。

このような中学生たちを応援することが大切だと思う。日本の文化外交は、このような草の根の親日家を大切にすべきであると思った。

2010年12月24日 (金)

アゼルバイジャンの入国査証と不法滞在者

アゼルバイジャン共和国外務省は、10月から空港での入国査証(ビザ)の発給を中止し、あらかじめビザを取得しなければならなくなった。日本人なら以前は空港で写真と料金を支払えば簡単に発行されていた。これができなくようになり、駐日アゼルバイジャン大使館領事部で査証を発給してもらうようになった。

アゼルバイジャン入国査証(ビザ)の取得を義務化したのは、アゼルバイジャンの石油景気と結びついている。中東やアジア(中国)からの入国者が急に増加して、低賃金で働く不法滞在者が首都バクーで急増したそうである。アゼルバイジャン人の職を奪うなどの理由で不法滞在者を排除することが目的であったようだ。アゼルバイジャン航空は、バクー・ウルムチ間のフライトがある。この便を利用する新疆からの中国人が急増し、バクー近郊のマーケットで中国人商人の姿が目立ちようになっていた。今回の措置により、中国人は北京のアゼルバイジャン大使館で査証を発給してもらわなければならなくなった。新疆からの中国人商人が減った。アゼルバイジャン人がウルムチに出かけて、中国製品を買い付けることは続いている。ウルムチでアゼルバイジャン人を見かけることがある。

アゼルバイジャンは、石油景気に沸くバブル経済であるが、一般のアゼルバイジャン人には失業者が多く、彼らの職を奪われないようにした措置でもあったようだ。

2010年12月23日 (木)

急速に発展するバクー

アゼルバイジャン共和国の首都バクーは急速に変化しつつある。カスピ海の石油がBTC(バクー・トビリシ・ジェイハン)パイプラインを経由して輸出されている。ロシア経由ではない、石油パイプラインができたことはアゼルバイジャンにとって大きな意味がある。ロシアにエネルギー安全保障でのリスクを減らすことができた。

1991年のソ連崩壊でアゼルバイジャン共和国が独立を回復(1918年に23ヶ月間独立、赤軍によって崩壊)したが、約5年間は混乱が続いた。ハイダル・アリエフ、イルハム・アリエフの親子2代の政権は、典型的な開発独裁である。石油収入より、バクーは表面的に発展している。しかし、この20年間で一部の大金持ち(アリエフの出身地ナヒチェヴァン関係者)が誕生しているが、中間層は誕生しておらず、多くは低賃金や失業者の状態にある。開発独裁は、どこの国でも同じで、一部の大金持ちが生活を享受している。西側ブランドのブティック店が多く開店している。買っている人を見かけない。しかし、つぶれないところを見ると、大金持ちが買い物をしているのだろう。

バクーは石油景気によるバブルのようだが、社会主義時代もいまも構造的な汚職と不平等は続いているようだ。

2010年12月17日 (金)

在トルクメニスタン日本国大使館臨時代理大使

最近、トルクメニスタンに着任した外交官は、トルコ語が堪能な人である。トルクメニスタンは、永世中立を宣言している中央アジアの国で、日本ではほとんどなじみのない国である。トルクメニスタンには約1万人のトルコ人がトルコから仕事のため滞在している。外国人コミュニティーとしては最大である。日本人の滞在者は、ほんの僅かしかいない。

新任の日本人外交官がトルコ人のコミュニティーを利用すれば、日本外交に資するという外交活動ができると思える。トルクメニスタンでのご活躍を期待している。

2010年12月 9日 (木)

キルギスのマナス空港での米軍給油問題

オトゥンバエヴァ・キルギス大統領は、米軍への給油の50%をキルギス国営会社が請け負うことを発表した。同大統領はマナス空港での米軍給油がMina Corpというジブラルタルに会社登録した会社が行い、この会社から前大統領に賄賂が流れていたと非難した。米軍関係の利権はダミー会社を通じて、政治工作使われることは多い。

米国のダミー会社からキルギス国営会社に燃料給油50%分が取引が移行するようだ。米軍がもたらす巨額の利権の一部が現政権に移譲されるのであろうか? それとも利権ではなく、キルギスの国家収入となって、キルギス国民に再分配されるのであろうか。

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